体を後に向かせ、背後の白い壁をじっと指さして示した。
「ほーらねえ? 見えるだろう? 赤鉛ぺつ[#「ぺつ」に傍点]で書いてさ、ほーら、見えるだろう、ほーら」
 杉本はその指に導かれてのそりのそり壁に近づくのであった。近づくにしたがってその楽書はしだいにはっきりしてきた。まったくその絵が絵として眼に映ると、彼の背筋がきゅうにぞくぞく粟立《あわだ》ってきた。なぜか恐ろしさと恥しさとに打たれて、彼は棒立ちになった。子供たちもまた緊張して声をのんだ。彼らは咄嗟《とっさ》にこの壁がどんなに大切なものであるかを思いだした。不機嫌に蒼ざめたこの教師が、壁を汚したことによってどんなに怒り猛るかしれないと思うのであった。すると何年かの間学校生活を余儀なくされた子供たちは、得体の知れない恐怖を描いて硬直してしまった。しかし杉本は反対に今は泣きたくなったのだ。「元木――」と彼は壁に面したまま子供を呼んだ。「お前はたいした凄い画描きさんだなあ、それだのにどうして学校の図画は……」そう言いかけて彼は咽喉がつまってしまった。楽書は赤鉛筆の心を舐《な》め舐め書かれた……であった。悲壮な顔をした男の脛には………………
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