して、夏は綺麗な、香気の高い花で、食卓が飾られてゐた。私が母の事を話しだしたら、それは明日になつたつて尽きやしません。
母は快闊な人であつたので、家族のものの元気を引立てる為めに常時も働き乍ら笑つてをられた。本当ですよ! 最も窮迫の際には、平素よりも、更に一層元気でした。おかげで僕の家は金がない代り、いつも笑声満堂といふ有様でした。
処が残念な事には、この苺園の桃や杏や李を母は手づから摘み採る事が出来るまで、長生きせられなかつたことです。若し生きてをられたらどんなに甘美《おい》しいジャムやコンポットが沢山に出来た事でせう! 而して母もこの野菜畑をどんなに喜ばれたでせう。」と詩人は暫時無言で……ひたすら回憶の深淵に沈潜すると云つたやうな様子であつた。成る程この屋敷の野菜畑は実際素晴しいもので、単に詩人の野菜園などといふものではなく、御料地の野菜畑とでもいふべきものだつた。見果てもつかぬ程の広さで、処々に二三百年の大樹が茂つてゐて、立派な並木道があつて、而して幾何学の図面のやうに規矩整然たる花壇や菜園には、大きな南瓜や、うまさうなサラダが時を得顔に繁茂してゐる。
そこで、僕達はそろそ
前へ
次へ
全18ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
堀口 九万一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング