ろ文芸上の質問を出して、先づ最初に「テアートル・フランセーズ」の事を訊いてみた。すると先生は、
「私の力作はいづれもリシュリユ町で(コメデー・フランセーズ座を指す)初演した事がないのです。悪運がつきまとつてるとでも言ふのでせうか。」と口を切つて、而してその創作のセヴエロ・トレリーの来歴を次のやうに話された。
「その脚本を書き上げるや否や大急ぎで私は原稿をペラン(当時のコメデー・フランセーズの理事長)に手渡しました。処が、その挨拶が如何にも冷淡であつた。のみならず、二幕目のあたり場[#「あたり場」に傍点]で、『ビアがその子に懺悔する処』は芝居にならぬといふので私はむつ[#「むつ」に傍点]としてその原稿を取り返した。而して心の内で言つたのです。ふん、若し僕の脚本が右河岸(コメデー・フランセーズ座を云ふ、セーヌ河の右岸にあるから)で芝居にならぬといふなら、左河岸(オデオン座)でやらして見せよう! こん畜生! コメデー・フランセーズ座の前を通る乗合馬車はオデオン迄行くわい!
 と、そこで、私はオデオン行きに乗つた。当時のオデオン座の理事長ラ・ルーナ氏はペランの様に木で鼻をくくつた様ではなかつた
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