、その罪人を法外人(Out law)となすものである。後世の没収刑も、この種の罰の発達したるもので、ただ財産を官に収めるのと、隣人の奪取に任せるのとの相違があるばかりである。またこの刑に処せられた者は、全くその生活の資料を失ってしまうのであるから、その酷刑であることは論を竢《ま》たないが、ハワイその他の蛮族中には、タブーを犯す者は、多くはこれを死刑に処するものとするものがあるのに較べたならば、これはむしろ大なる進歩と言わなければならない。
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八三 食人刑
刑罰は復讐に起り、正義になり、仁愛に終わるものである。故に原始社会においては、刑罰は被害者もしくは被害者の同族または君主等の怨恨を解き、復讐の念を満足せしめるのを刑の直接の目的としておった。そして、人が他人を憎み怨む念の極端を言い表すために、支那では「欲レ食二其肉一」[#「」内の「レ一二」は返り点、以下同じ]という語があり、かの有名な胡澹庵《こたんあん》の封事中にも「人皆欲レ食二倫之肉一」というてある。これは、開明社会では、単に比喩の語るに過ぎぬのであるが、蛮族間では、事実を言い表したものである。北アメリカのインディアン中にも類似の言葉があるということである。
刑罰の目的が復讐であって、人を憎むの極端が食肉であるならば、極刑が食人刑であることは敢て怪しむに足らぬことである。アフリカの蛮族バッタ人は、叛逆、間諜、姦通、夜間強盗の如き罪を犯した者をこの食人刑に処し、族人をして活きながらその罪人の肉を食わしめるのを死刑の執行方法とするとのことである。また蛮族中、死刑囚の肉を生前に売却し、または行刑後公衆が勝手次第にその肉を分け取りすることを許すが如き習俗の行われているということも、しばしば聞くところである。
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八四 本居翁の刑罰論
本居宣長翁は除害主義の死刑論を説き、徴証主義の断訟論を唱えられたようである。紀州侯に奉られた「玉くしげ別本」に、左の文が見えている。
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刑は随分寛く軽きがよきなり。但し生けおきてはたえず世の害をなすべき者などは、殺すもよきなり。扨《さて》一人にても人を殺すは、甚重き事にて、大抵の事なれば死刑には行はれぬ定りなるは、誠に有がたき御事なり。然るに、近来は決して殺すまじき者をも、其事の吟味のむづかしき筋などあれば、毒薬などを用ひて、病死として其吟味を済す事なども、世には有とか承る、いとも/\有まじき事なり。また盗賊火付などを吟味する時、覚えなき者も拷問せられて、苦痛の甚しきに得堪へずして、偽りて我なりと白状する事あるを、白状だにすれば真偽をばさのみたゞさず、其者を犯人として刑に行ふ様の類もあるとか、是又甚有るまじき事なり。刑法の定りは宜しくても、其法を守るとして、却て軽々しく人をころす事あり、よく/\慎むべし。たとひ少々法にはづるゝ事ありとも、兎も角情実をよく勘《かんが》へて軽むる方は難なかるべし。扨又、異国にては、怒にまかせてはみだりに死刑に行ひ、貴人といへども、会釈もなく厳刑に行ふ習俗《ならひ》なるに、本朝にては、重き人はそれだけに刑をもゆるく当らるゝは、是れ又有がたき御事なり。
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八五 奇異なる死刑
古代の刑法が酷刑に富むことはいうまでもないが、ローマの古法も、けだしその例に漏れぬものであろう。かのユスチニアーヌス帝の「法学提要」(Institutiones)に拠れば、「レックス・ポムペイア・デ・パリシディース」(Lex Pompeia de Parricidiis)なる法律があって、殺親罪に当つるに他の類なき奇異なる刑罰をもってしている。この殺親罪(Parricidium)なる罪名の下には、親以外の近親に対する殺人罪をも包含しておったようであるが、これらの犯人は、実に天人|倶《とも》に容れざる大罪人であって、「法学提要」の語を仮りていわば、「刑するに剣をもってせず、火をもってせず、その他通常の刑に処することなく、一犬、一鶏、一蛇、一猿と共に皮袋の中に縫い込み、この恐るべき牢獄のまま、土地の状況により海中または河中に投じ、その生存中より既に一切の生活原素の供与を絶ち、生前においては空気を奪われ、死後においては土を拒まるべし」と。ユスチニアーヌス帝のディゲスタ法典に拠れば、もし近辺に河海なきときは、猛獣に委《わた》してその身体を裂かしむとある。
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八六 一銭切
我戦国時代に、一銭切《いっせんぎり》という刑があった。「信長記《しんちょうき》」に、
[#ここから2字下げ、「一銭」の「一」をのぞいて「一二」は返り点]
信長卿ハ清水寺ニ|在々《ましまし》ケルガ、於二洛中洛外一上下ミダリガハシキ輩アラバ一銭切リト御定有ツテ、則柴田修理亮、坂井右近将監、森三左衛門尉、蜂屋兵庫頭、彼等四人被仰付ケレバ、則制札ヲゾ出シケル云々。
[#ここで字下げ終わり]
と見えているが、同書に拠れば、これは永禄十一年十月のことである。また「清正記」に載せてある天文二十年正月に豊臣秀吉の下した掟の中にも、
[#ここから2字下げ、「一銭」の「一」をのぞいて「レ一二」は返り点]
一、軍勢於二味方地一乱妨|狼籍《ろうぜき》輩|可レ為《たるべき》二一銭切一事。
[#ここで字下げ終わり]
と見えており、また「安斎随筆」に引いてある「房総志科」に拠れば、望陀郡真里公村なる天寧山真如寺の門前の禁※[#「※」は「片+旁」、第4水準2−80−16、298−10]《きんぼう》の文にも、
[#ここから2字下げ、「一銭」の「一」をのぞいて「レ一二」は返り点]
門前百姓、於二非法有一レ之者、可レ為二一銭切一事。
[#ここで字下げ終わり、「レ」は返り点]
と記してあったということである。
この「一銭切」とは何のことであろうか。これに関しては種々の説があるようであるが、先ず第一には、伊勢貞丈《いせさだたけ》は、一銭切とは一銭をも剰さず没収する財産刑であろうというて、その著「安斎随筆」の中に次の如くに述べている。
[#ここから2字下げ、「レ」は返り点]
貞丈|按《あんずるに》、一銭切と云《いう》は、犯人に過料銭を出さしむる事ならん。切の字は限なるべし。其過料を責取るに、役人を差遣《さしつかわ》し、其犯人の貯へ持たる銭を有り限り取上る。譬《たとえ》ば僅に一銭持たるとも、其一銭限り不レ残取上るを一銭切と云なるべし、捜し取る事と見ゆ。
[#ここで字下げ終わり]
次に新井白石は、一銭を盗めるものをも死刑に処することであるとして、「読史余論」の中に次の如くに述べている。
[#ここから2字下げ]
此人(豊臣秀吉)軍法に因て一銭切といふ事を始めらる。たとへば一銭を盗めるにも死刑にあつ。
[#ここで字下げ終わり]
しかしながら第一の貞丈の説はあるいは曲解ではあるまいか。殊に軍陣の刑罰に財産刑を用いるというのは、少々受取りにくい次第である。やはり「切」は「斬」であって、事一銭に関する如き微罪といえども、斬罪の厳刑をもってこれを処分し、毫も仮借することなきぞとの意を示した威嚇的法文と見るのが穏当と思われる。
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八七 合同反抗
合同反抗は法の威権に対する大敵である。故に多くの国においては、共謀、同盟、その他合同して不法の行為をなそうとするときは、合同それ自身が独立の罪となり、または加重の原因となるものとしている。我旧幕時代の「徒党」や、イギリス法のConspiracyの如きものはその例である。合同反抗は最も力の強いものであることは勿論であるから、立法者が合同反抗を生ずべき法律を作ろうとするには、先ず充分にその反抗を抑圧し、またはこれを罰し得る実力と決心とがあるかどうかを考えた上で、その法を定めねばならぬ。
この一例ともいうべき事が、最近にイギリスに起った。今回のヨーロッパの大戦乱について、イギリスはその軍需品の供給を充分にするために、新たに軍器省を置き、閣員中第一の敏腕家なるロイド・ジョーヂ氏を軍器大臣に任じ、また「軍器法」(Munitions Act)というを制定した。この法律の中には、軍需品製造に関係ある職工がストライキをした場合には、一人一日五ポンド(五十円)ずつの罰金に処するという規定がある。しかるに、この法律が出てから間もなく、有名な石炭産地カーディフを中心とした南ウェールス地方の石炭坑夫約二十万人の大ストライキが起った。さて困った事は彼の軍器法の励行である。戦争の急需に迫られて折角かくの如き厳重な法律は作って見たものの、かくの如き多数の違犯者が一時に出て来ては、この法律を実行することはとても出来ぬ。第一裁判所、裁判官、警察官その他の司法機関が足らぬ。その上に、一方では戦争の範囲が広まるに従って石炭の需要はますます急迫して来る。実際政府は如何ともすることが出来ないから、違犯者を罰するどころか、かえって軍器大臣ロイド・ジョーヂ氏は自らウェールスまで出懸けて行って、炭坑の持主と坑夫との双方を諭《さと》し、政府からも補助を与えて、幾分かストライキ坑夫即ち違法者の要求を容れて、それでようやく復業させることが出来たというような次第である。故に重刑をもって同盟罷業を防止しようとした折角の政策も、その始において物の見事に蹂躙《じゅうりん》され、その法律は生れて早々死法となってしまったのである。これで観ても、合同反抗を生ずることのあるべき法律を作るには、その実行の可能に関して充分な見込がないと、単にその法律が行われないばかりでなく、延いては一般に法の威厳を損ずるに至るものである。
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八八 現行盗と非現行盗
ローマの「十二表法」では、盗罪を分って現行盗(Furtum manifestum)および非現行盗(Furtum nec manifestum)の二種としている。
この現行、非現行の区別の標準については、ローマの法曹間においても、既に議論が岐《わか》れて、種々の異説が存したことであって、第一説は、盗取行為をなしつつある間に発見逮捕せられる場合が現行盗、盗取行為終了後に発覚したものが非現行盗であるとし、第二説は、現場において発覚したと否とに依って区別し、第三説は、犯人が贓品を目的地に運搬し終るまで発見せられなかったことを非現行盗の要件とし、第四説は、犯人が偶《たまた》ま盗品を所持している際に発見逮捕せられた場合には、これまた現行盗であるとしておった。そして、ガーイウスは第二説を採り、ユスチニアーヌス帝は第三説を用いたが、要するに、盗犯を現行中の発見逮捕と現行後の発見逮捕とを標準として分類し、近世の法律における如く、盗の方法に依って強盗、窃盗と分つ分類法を用いなかったのは注目すべき点である。
しかしなお一層注目すべきは、現行盗と非現行盗と、刑罰の軽重が非常に異なる事である。即ち現行盗の犯人は、もし自由人ならば笞刑《ちけい》に処した後《の》ち被害者に引渡してその奴隷となし(いわゆる身位喪失の刑)、奴隷ならば先ず笞《むちう》った後ちこれを死刑に処する。しかるに、非現行盗にあっては、犯人をして盗品の価額の二倍の贖罪金を被害者に支払わしむるに過ぎないのである。同一の犯行であって、単に逮捕の時の如何に依り、刑にこれほどの軽重を設けるのは、如何なる趣意であるか。近世の思想をもってしては、到底了解し得られないところであるが、法律なるものは私力が公権力化するに依って発生するものであるという法律進化の理法をもってすれば、この難問も釈然氷解するのである。けだし初期の刑法は、個人のなすべき復讐を国家が代って行うという観念に基づいて発生したものである。そして刑法なる国法を設ける目的が、私闘を禁じて団体員をしてその団体の公権力制裁に依頼せしむるというにあるならば、その公権力制裁の方法は、個人をして自力制裁を行いたいところを耐えて、国家の刑罰をもって満足せしめる程度のものでなくてはならぬ。どうしたら個人が満足するか。恐らく自力制裁の場合におけると類似の方法程度
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