ノの注は、「マースールのカリフ」を著者の書き間違いとし、「アッバス朝二代のカリフがマンスール」であるとする]は、氏をバグダッドに召して、その説を傾聴し、これに擬するに判官の栄職をもってした。しかも石にあらざる氏の素志は、決して転《ころ》ばすことは出来なかった。性急なる王は、忽ち怒を発して、氏を獄に投じたので、この絶世の法律家は、遂に貴重なる一命を囹圄《れいご》の中に殞《おと》してしまった。
ローマ法族の法神パピニアーヌスは誣妄《ふぼう》の詔を草せずして節に死し、回々法族の法神ハネフィヤは栄職を却《しりぞ》けて一死その志を貫いた。学者|一度《ひとたび》志を立てては、軒冕《けんべん》誘《いざな》う能わず、鼎※[#「※」は「金偏に草冠+隻」、第3水準1−93−41、26−12]《ていかく》脅《おびや》かす能わざるものがなくてはならぬ。匹夫《ひっぷ》もその志は奪うべからず、いわんや法律家をや。
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三 神聖なる王璽
国王の璽《じ》は重要なる君意を公証するものであるから、これを尚蔵する者の責任の大なることは言を待たぬところである。故に御璽《ぎょじ》を保管する内大臣に相当する官職は、いずれの国においても至高の要職となっており、英国においては掌璽《しょうじ》大臣に“Keeper of the King's Conscience”「国王の良心の守護者」の称がある位であるから、いやしくも君主が違憲の詔書、勅書などを発せんとする場合には、これを諫止《かんし》すべき職責を有するものである。フランスにおいて、掌璽大臣に関する次の如き二つの美談がある。
フランスのシャール七世、或時殺人罪を犯した一|寵臣《ちょうしん》の死刑を特赦しようとして、掌璽大臣モールヴィーエー(Morvilliers)を召して、その勅赦状に王璽を※[#「※」は「金+今」、第3水準1−93−5、27−9]《きん》せしめようとした。モールヴィーエーはその赦免を不法なりとして、これを肯《がえ》んぜなかったが、王は怒って、「王璽は朕の物である」と言って、これを大臣の手より奪って親《みずか》ら勅赦状に※[#「※」は「金+今」、第3水準1−93−5、27−11]したる後《の》ち、これをモールヴィーエーに返された。ところがモールヴィーエーはこれを受けず、儼然として次の如く奏してその職を辞した。「陛下、この王璽
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