nd unsullied from the intrigues of courts, the habits of business, and the arts of his profession, reflects more lustre on the memory of Papinian, than all his great employment, his numerous writings, and the superior reputation as a lawyer, which he has preserved through every age of the Roman jurisprudence.(Gibbon's the Decline and Fall of the Roman Empire.)
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 二 ハネフィヤ、職に就かず


 回々《フィフィ》教徒《きょうと》の法律家に四派がある。ハネフィヤ派、マリク派、シャフェイ派、ハンバル派といって、各々その学祖の名を派名に戴いている。学祖四大家、いずれも皆名ある学者であったが、就中《なかんずく》ハネフィヤの学識は古今に卓絶し、人皆称して「神授の才」といった。学敵シャフェイをして「彼の学識は学んで及ぶべきにあらず」と嘆ぜしめ、マリクをして「彼が一度木の柱を金の柱なりと言ったとしたならば、彼は容易《たやす》くその柱の黄金なることを論証する智弁を有している」と驚かしめたのを見ても、如何に彼が一世を風靡《ふうび》したかを知られるのである。
 ハネフィヤは、このいわゆる「神授の才」を挙げて法学研究に捧げようとの大志を立て、決して利禄名声のためにその志を移さなかった。時にクフファーの太守フーベーラは、氏の令名を聞いて判官の職を与えんとしたが、どうしても応じない。聘《へい》を厚くし辞を卑くして招くこと再三、なお固辞して受けない。太守もここに至って大いに怒り、誓ってかの腐儒をして我命に屈従せしむべしというので、ハネフィヤを捕えて市に出し、笞《むちう》たしむること日ごとに十杖、もって十日に及んだが、なお固く執《と》って動かなかったので、さすがの太守も呆れ果てて、終にこれを放免してしまった。
 この後《の》ち数年にして、同一の運命は再び氏を襲うて来た。マースールのカリフ[#岩波文
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