は臣に二度の至大なる光栄を与えました。その第一回は臣がかつてこれを陛下より受けた時であります。その第二回は臣が今これを陛下より受けざる時であります。」
ルイ十四世が嬖臣《へいしん》たる一貴族の重罪を特赦しようとした時、掌璽大臣ヴォアザン(Voisin)は言葉を尽して諫争《かんそう》したが、王はどうしても聴き容れず、強いて大璽を持ち来らしめて、手ずからこれを赦書に※[#「※」は「金+今」、第3水準1−93−5、28−7]して大臣に返された。ヴォアザンは声色共に激しく「陛下、この大璽は既に汚れております。臣は汚れたる大璽の寄託を受けることは出来ません」と言い放ち、卓上の大璽を突き戻して断然辞職の決意を示した。王は「頑固な男だ」と言いながら、赦免の勅書を火中に投ぜられたが、ヴォアザンはこれを見て、その色を和《やわら》げ、奏して言いけるよう、「陛下、火は諸《もろもろ》の穢《けがれ》を清めると申します。大璽も再び清潔になりましたから、臣は再びこれを尚蔵いたしますでございましょう。」
ヴォアザンの如きは真にその君を堯舜《ぎょうしゅん》たらしめる者というべきである。
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四 この父にしてこの子あり
和気清麻呂《わけのきよまろ》の第五子参議和気|真綱《まつな》は、資性忠直|敦厚《とんこう》の人であったが、或時法隆寺の僧|善※[#「※」は「りっしんべん+豈」、第3水準1−84−59、29−2]《ぜんがい》なる者が少納言|登美真人直名《とみまひとのじきな》の犯罪を訴え、官はこれを受理して審判を開くこととなった。しかるに同僚中に直名に左袒《さたん》する者があって、かえって「闘訟律」に依って許容違法の罪を訴えた。そこで官は先ず明法《みょうぼう》博士らに命じて、許容違法の罪の有無を考断せしめたが、博士らは少納言の権威を畏避《いひ》して、正当なる答申をすることが出来なかった。真綱はこれを憤慨して、「塵《ちり》起るの路は行人《こうじん》目を掩《おお》う、枉法《おうほう》の場、孤直《こちょく》何の益かあらん、職を去りて早く冥々《めいめい》に入るに加《し》かず」と言うて、固く山門を閉じ、病なくして卒したということである。この事は「続日本後紀《しょくにほんこうき》」の巻十六に見えておる。
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五 ディオクレス、自己の法に死す
ディオクレス(Diocles
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