委託を勧請したけれども、ただギリシア革命政府、ポルトガルなどの一、二国が氏の意見を諮詢したのみに止《とど》まって、法典立案の事に至っては、几案寂然《きあんせきぜん》、遂に一紙の聘托《へいたく》をも得ずして、その生涯を終ってしまったのである。
 ベンサムの博学宏才をもって心を法典編纂に委《ゆだ》ぬること五十有余年、当時彼の著書は既に各国語に翻訳せられ、彼の学説は既に一世を風靡《ふうび》し、雷名|轟々《ごうごう》、天下何人といえども彼の名を知らぬ者はなかったのである。
 しかも、この碩学にしてその素志の天下に容れられなかったのは何故であるか。これ他なし。法典の編纂は一国立法上の大事業なるが故に、これを外国人に委託するは、その国法律家の大いに愧ずるところであって、且つ国民的自重心を傷つくること甚だ大であるからである。明治二十三年の第一回帝国議会において、商法実施延期問題が貴族院の議に上ったとき、我輩は同院で延期改修論を主張したが、上に述べた如き例を引いて、国民行為の典範たる諸法典を外国人に作ってもらうのは国の恥であると述べたのは、幾分か議員を動かしたように見えた。ベンサムにはこれらの国民的感情は少しも了解することが出来なんだのである。しかも彼が再三再四各国政府に書を寄せ、また各国人民に勧告し、その度ごとに失敗して毫もその志を屈せず、ますます老豪の精神を振うて世界の人民に対《むか》ってその抱懐するところを訴え、遂にこれを容れられざるに至って、なおその原因を悟らなかったのは、これけだしベンサム氏の気宇濶大、世界を家とし、人類を友とし、かつて国民的感情などの存することを知らなかったのに由るものである。故に彼は、外国人をして法典を立案せしめることは、これを内国人に委託するよりは優っているとの論に附加して、各国の立法議会においても外国人を議員たらしむるの利あるを説き、例えばイスパニャの如き国においては、英、仏、露、伊、葡諸国の人民各一二名をその国会議員に加えることが有利であると論じている(Bentham's Works IV, p. 563.[#「IV」はローマ数字の4])。もってベンサムの眼中に国境なきことを推知することが出来る。人あるいはこの論を読んでベンサムの迂《う》を嗤《わら》う者もあらん。しかれども、ベンサムのベンサムたる所以はけだしこの点にありと謂わねばならぬ。
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