ェレミー・ベンサム謹んで書を皇帝陛下に上り、立法事業に関して、陛下に奏請するところあらんとす。臣年既に六十六歳、その中五十有余年は潜心して専ら法制事業を攻究せり。今や齢|已《すで》に高し。もし陛下の統治し給う大帝国の立法事業改良のために、臣の残躯を用い、臣をして敢えて法典編纂のために微力を尽すを得しめ給わば、臣が畢生《ひっせい》の望はこれを充たすになお余りありというべし。(中略)
今や戦闘の妖雲は全欧を蔽えり。陛下もし臣に賜うに数行の詔勅をもってし給わば、臣は直ちに治平の最大事業に着手すべし。陛下もし幸いにこの大事業を臣に命じ給わば、その重任を負うの栄誉と、これに伴う満足とは、これ陛下が臣に賜うところの無二の賞典なり。臣|豈《あ》に敢えて他に求むるところあらんや。(下略)
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 しかるに翌年の四月アレキサンドル帝はオーストリヤのヴィーン市より手簡をベンサムに贈ってその厚意を謝し、且つ「朕はさきに任じたる法典編纂委員に対して、もし疑義あらばこれを先生の高識に質すべき事を命ずべし云々」と言い、併せてその厚意を謝する記念として高価なる指輪を贈与せられた。ベンサムは再び長文の書を上《たてまつ》って、いやしくも金銭上の価格を有する恩賜は自分の受くるを欲せぬところであるといってこれを返戻し、且つ委員らは必ず氏の意見を聴くことを屑《いさぎよ》しとせざるが故に、帝の命令はただ氏に対する礼遇たるに止まるべきことを予言し、更にまた詳細に法典編纂の主義手続などを説明して、再びその任に当りたいということを奏請したけれども、遂に露帝の容るるところとならずして止んでしまった。
 これより先き、一八一一年、ベンサムは書を合衆国大統領マヂソンに贈って、合衆国法典編纂の必要を論じ、且つ自ら進んでその立案の任に当りたいということを請うたが、マヂソン氏はその後ち五年を経て返書を送り、「方今欧洲において法典編纂の事業に適任なるは先生をもって第一とすと言えるロールド・ブローム(Lord Brougham)の説は余の悦んで同意するところである。しかしながら、奈何《いかん》せん合衆国においては、法典編纂の挙に対する種々の故障があって、今や容易にこれを実行すべき見込がない」と言ってこれを謝絶するに至った。けれどもベンサムの法典編纂に対する熱心は、固より一回の蹉跌《さてつ》をもって冷却するもの
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