サム全集」は即ちこれである。
ベンサムが始めて実利主義を唱えて法律改善を説いた時には、旧慣古制に執着深き英国人士は、皆その論の奇抜大胆なのに喫驚《きっきょう》せざるを得なかった。曰く過激論、曰く腐儒の空論、曰く捕風握雲の妄説、これらは皆彼の説の上に注ぎかけられた嘲罵の声であった。しかしながら彼は毫も屈しなかった。直言※[#「※」は「言+黨」、第4水準2−88−84、256−10]議《ちょくげんとうぎ》、諱《い》まず憚《はばか》らず、時には国王の逆鱗《げきりん》に触れるほどの危きをも冒し、ますます筆鋒を鋭くして、死に至るまで実利主義のために進路の荊棘《けいきょく》を攘《はら》った。由来、学者の所説は常に社会の進歩に先だって趨《はし》るものである。彼の法律制度改正案は無慮幾百であったが、彼が八十五歳の長寿を保ったに係らず、その生前に行われたものは比較的少数であった。しかしながら、学者の説はそのままにて直ちに実行されるものは少ないのである。必ずや、時務に通じたる実際家が社会の需要に応じてその理論を実行するのを待たねばならぬ。ベンサムにはその薫陶を受けたる政治家にピット、マッキントッシ、ブローム、ロミリー等の諸名士があって、彼の遺志を継ぎ、彼の所論を実現すべき人を欠かなかったために、その死後未だ数十年を出でずして、その案の実行せられ、その論の是認せられたものは、実に無数であった。ミルがこの事を評して次の如く言っておる。
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“It was not Bentham, by his own writings, it was Bentham through the minds. and pens which those writings fed, through the men in more direct contact with the world, into whom his spirit passed.”――Mill, Dissertations and Discussions.
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法制上においては、刑法の改正、獄制の改良、流刑の廃止、訴訟税の廃止、負債者禁錮の廃止、救貧院の設置、郵便税の減少、郵便為替の設定、地方裁判所の設立、議員選挙法の改正、公訴官の設置、出産結婚および死亡登記法、海員登記法、海上法の制定、利息制限法の廃
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