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 物徂徠《ぶつそらい》は、その著「明律国字解」において、刑名律を刑名・法例の二編に分ったのは梁律であると言うておるが、その出所を示しておらぬから断言は出来ないが、けだし誤謬であろう。なお徂徠は、刑名・法例の二編を併せて一編となしたのは隋律であると言っておるが、隋は北斉の用例を復したに過ぎないので、初めて通則の全部を名例律と称したのではない。
 我邦においても、古律は隋唐の律を模範として、名例律という称を用い、また維新の際に編成した「新律綱領」もその編首に名例律を置いたのであった。
 明治十三年に刑法を改正した際、第一編第一章に刑法適用の通則を掲げてこれを法例と題した。これはけだし晋律の用例に倣うたものであって、北斉以来久しく法典上に絶えていた用例を、我国において復活させたものである。
 明治二十三年、民法その他の法典が公布された際に、法律第九十七号をもって、一般法律に通ずる例則を発布して、これを法例と称した。ここにおいて法例という語の用例が一変することとなって、従来は刑法の通則に限って用いられておった語を汎《ひろ》く法律通用に関する総則に用いるようになった。
 このように、初め刑法にのみ用いた語を、一般の法律に通用するようになるのは、法律沿革史上に往々その例を見るところであって、諸国の法律は、最初に刑法、訴訟法などのようなものがその体裁を整備するものであるから、これらの法律の用語を他の法律に転用するようになることは、決して稀なことではない。
 支那においても、古代に法と称し律と称《とな》えたものは、殆んど刑法ばかりであるし、成典の存するものも、また刑法の範囲内で最も発達したのである。それ故、支那法系の法律では、刑法の術語を、後になって他の種類の法令に転用した例が甚だ多く、法例という語の如きもまたその一つである。そして前に掲げた法例という語の字義語意を稽《かんが》えて見ても、我邦においてこの法例なる語を広く用いるのは、決して不当でないと思う。
 このように、法例という語は、法律の適用に関する通則の題号としては、頗る穏当であるから、我輩は命を蒙って法例改正案を起草した時にも、これを襲用したのである。
 その後ち、商法改正案においても、総則なる語を改め、法例としてこれを題号に採用したのである。ここにおいて、我邦の法典においては、法例という語に二様の用例を生ずることと
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