を成したりといえども、数百千年養い得たる我日本武士の気風《きふう》を傷《そこな》うたるの不利は決して少々ならず。得を以て損を償《つぐな》うに足らざるものというべし。
 そもそも維新の事は帝室《ていしつ》の名義ありといえども、その実は二、三の強藩が徳川に敵したるものより外《ほか》ならず。この時に当りて徳川家の一類に三河《みかわ》武士の旧風《きゅうふう》あらんには、伏見《ふしみ》の敗余《はいよ》江戸に帰るもさらに佐幕《さばく》の諸藩に令して再挙《さいきょ》を謀《はか》り、再挙三拳ついに成《な》らざれば退《しりぞい》て江戸城を守り、たとい一日にても家の運命を長くしてなお万一を僥倖《ぎょうこう》し、いよいよ策|竭《つく》るに至りて城を枕に討死《うちじに》するのみ。すなわち前にいえるごとく、父母の大病に一日の長命を祈るものに異《こと》ならず。かくありてこそ瘠我慢の主義も全きものというべけれ。
 然《しか》るに彼《か》の講和論者《こうわろんじゃ》たる勝安房《かつあわ》氏の輩《はい》は、幕府の武士用うべからずといい、薩長兵《さっちょうへい》の鋒《ほこさき》敵すべからずといい、社会の安寧《あんねい》害
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