たん》なる数理より論ずるときはほとんど児戯《じぎ》に等しといわるるも弁解《べんかい》に辞《じ》なきがごとくなれども、世界古今の実際において、所謂《いわゆる》国家なるものを目的に定めてこれを維持《いじ》保存《ほぞん》せんとする者は、この主義に由《よ》らざるはなし。我封建の時代に諸藩の相互に競争して士気《しき》を養《やしな》うたるもこの主義に由り、封建すでに廃《はい》して一統の大日本帝国と為《な》り、さらに眼界を広くして文明世界に独立の体面を張らんとするもこの主義に由《よ》らざるべからず。
故に人間社会の事物今日の風にてあらん限りは、外面の体裁《ていさい》に文野の変遷《へんせん》こそあるべけれ、百千年の後に至るまでも一片《いっぺん》の瘠我慢は立国の大本《たいほん》としてこれを重んじ、いよいよますますこれを培養《ばいよう》してその原素の発達を助くること緊要《きんよう》なるべし。すなわち国家|風教《ふうきょう》の貴《たっと》き所以《ゆえん》にして、たとえば南宋の時に廟議《びょうぎ》、主戦《しゅせん》と講和《こうわ》と二派に分れ、主戦論者は大抵《たいてい》皆《みな》擯《しりぞ》けられて或《ある
前へ
次へ
全33ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
福沢 諭吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング