》こそ帝室《ていしつ》の重きを成したる由縁《ゆえん》なれ。
 また古来士風の美をいえば三河武士《みかわぶし》の右に出る者はあるべからず、その人々について品評すれば、文に武に智に勇におのおの長ずるところを殊《こと》にすれども、戦国割拠《せんごくかっきょ》の時に当りて徳川の旗下《きか》に属し、能《よ》く自他《じた》の分《ぶん》を明《あきらか》にして二念《にねん》あることなく、理にも非にもただ徳川家の主公あるを知《しり》て他を見ず、いかなる非運に際して辛苦《しんく》を嘗《なむ》るもかつて落胆《らくたん》することなく、家のため主公のためとあれば必敗必死《ひっぱいひっし》を眼前《がんぜん》に見てなお勇進《ゆうしん》するの一事は、三河武士全体の特色、徳川家の家風なるがごとし。これすなわち宗祖《そうそ》家康公《いえやすこう》が小身《しょうしん》より起《おこ》りて四方を経営《けいえい》しついに天下の大権を掌握《しょうあく》したる所以《ゆえん》にして、その家の開運《かいうん》は瘠我慢の賜《たまもの》なりというべし。
 左《さ》れば瘠我慢の一主義は固《もと》より人の私情に出《いず》ることにして、冷淡《れい
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