するこそ安楽《あんらく》なるべけれども、なおその独立を張《はり》て動かざるは小国の瘠我慢にして、我慢《がまん》能《よ》く国の栄誉《えいよ》を保つものというべし。
 我《わが》封建《ほうけん》の時代、百万石の大藩に隣《となり》して一万石の大名あるも、大名はすなわち大名にして毫《ごう》も譲《ゆず》るところなかりしも、畢竟《ひっきょう》瘠我慢の然《しか》らしむるところにして、また事柄《ことがら》は異なれども、天下の政権武門に帰《き》し、帝室《ていしつ》は有《あ》れども無《な》きがごとくなりしこと何百年、この時に当りて臨時《りんじ》の処分《しょぶん》を謀《はか》りたらば、公武合体《こうぶがったい》等種々の便利法もありしならんといえども、帝室にして能《よ》くその地位を守り幾艱難《いくかんなん》のその間にも至尊《しそん》犯《おか》すべからざるの一義を貫《つらぬ》き、たとえば彼《か》の有名なる中山大納言《なかやまだいなごん》が東下《とうか》したるとき、将軍家を目《もく》して吾妻《あずま》の代官と放言したりというがごとき、当時の時勢より見れば瘠我慢に相違《そうい》なしといえども、その瘠我慢《やせがまん
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