憂一哀一楽、来往《らいおう》常《つね》ならずして身を終るまで円満《えんまん》の安心《あんしん》快楽《かいらく》はあるべからざることならん。されば我輩《わがはい》を以《もっ》て氏の為《た》めに謀《はか》るに、人の食《しょく》を食《は》むの故《ゆえ》を以《もっ》て必ずしもその人の事に死すべしと勧告《かんこく》するにはあらざれども、人情の一点より他に対して常に遠慮《えんりょ》するところなきを得ず。
 古来の習慣に従えば、凡《およ》そこの種の人は遁世《とんせい》出家《しゅっけ》して死者の菩提《ぼだい》を弔《とむら》うの例もあれども、今の世間の風潮にて出家《しゅっけ》落飾《らくしょく》も不似合《ふにあい》とならば、ただその身を社会の暗処《あんしょ》に隠《かく》してその生活を質素《しっそ》にし、一切《いっさい》万事《ばんじ》控目《ひかえめ》にして世間の耳目《じもく》に触《ふ》れざるの覚悟《かくご》こそ本意なれ。
 これを要するに維新《いしん》の際、脱走《だっそう》の一挙《いっきょ》に失敗《しっぱい》したるは、氏が政治上の死にして、たといその肉体の身は死せざるも最早《もはや》政治上に再生《さいせい》
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