の背面に食人之《ひとのしょくを》食者《はむものは》死人之事《ひとのことにしす》の九字を大書して榎本武揚《えのもとたけあき》と記し、公衆の観に任して憚《はばか》るところなきを見れば、その心事の大概《たいがい》は窺《うかがい》知《し》るに足《た》るべし。すなわち氏はかつて徳川家の食《しょく》を食《は》む者にして、不幸にして自分は徳川の事に死するの機会を失うたれども、他人のこれに死するものあるを見れば慷慨惆悵《こうがいちゅうちょう》自《おのず》から禁ずる能《あた》わず、欽慕《きんぼ》の余《あま》り遂《つい》に右の文字をも石《いし》に刻《こく》したることならん。
 すでに他人の忠勇《ちゅうゆう》を嘉《よ》みするときは、同時に自《みず》から省《かえり》みて聊《いささ》か不愉快《ふゆかい》を感ずるもまた人生の至情《しじょう》に免《まぬ》かるべからざるところなれば、その心事を推察《すいさつ》するに、時としては目下の富貴《ふうき》に安んじて安楽《あんらく》豪奢《ごうしゃ》余念《よねん》なき折柄《おりから》、また時としては旧時の惨状《さんじょう》を懐《おも》うて慙愧《ざんき》の念を催《もよ》おし、一喜一
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