《うこう》水浅《みずあさくして》騅能逝《すいよくゆくも》、一片《いっぺんの》義心《ぎしん》不可東《ひんがしすべからず》とは、往古《おうこ》漢楚《かんそ》の戦に、楚軍《そぐん》振《ふる》わず項羽《こうう》が走りて烏江《うこう》の畔《ほとり》に至りしとき、或人はなお江を渡りて、再挙《さいきょ》の望なきにあらずとてその死を留《とど》めたりしかども、羽《う》はこれを聴《き》かず、初め江東の子弟八千を率《ひき》いて西し、幾回《いくかい》の苦戦に戦没《せんぼつ》して今は一人の残る者なし、斯《かか》る失敗の後に至り、何の面目か復《ま》た江東に還《かえ》りて死者の父兄を見んとて、自尽《じじん》したるその時の心情を詩句に写《うつ》したるものなり。
 漢楚《かんそ》軍談のむかしと明治の今日《こんにち》とは世態《せいたい》固《もと》より同じからず。三千年前の項羽《こうう》を以《もっ》て今日の榎本氏を責《せむ》るはほとんど無稽《むけい》なるに似《に》たれども、万古不変《ばんこふへん》は人生の心情にして、氏が維新《いしん》の朝《ちょう》に青雲の志を遂《と》げて富貴《ふうき》得々《とくとく》たりといえども、時に顧
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