りとて何と答弁の辞《ことば》もなくして甚だ苦しきことなるべし。我輩これを知らざるにあらずといえども、およそ今の日本国人として、現在の愉快、後世子孫の幸福は、何を以て最《さい》とするやと尋ねたらば、独立の体面を維持して日本国の栄名を不朽に伝うるのほかなかるべし。而《しこう》してこの体面と栄名とを張るにいささかにても益《えき》すべきものはこれを採り、害すべきものはこれを除かんとするもまた、日本国民の身においてまさに然るべき至情なるべし。されば絶対《アブソリュート》の理論においては、人間世界の善悪邪正をいかなるものぞと論究して未だ定まらざるほどの次第なれば、まして男女の内行に関し、一夫一婦法と多妻多男法と、いずれか正、いずれか邪なる、固《もと》より明断《めいだん》し難しといえども、開闢《かいびゃく》以来の実験に拠《よ》り、また今日の文明説に従うときは、一家の私《し》のため一国の公《こう》のために、多妻多男法は一夫一婦法の善《よ》きに若《し》かず。かつ今日の世界は西洋文明の風に吹かれてこれに抵抗すべからざるの時勢なれば、文明の風に多妻多男を嫌忌《けんき》して、そのこれを嫌忌するの成跡《せいせき》は甚だ美にして、今日の人の家を成し国を立つるに最も適当し、これに反するものは必ず害を被《こうむ》りて免るべからざること、既に明らかなれば、理論上の正邪はともかくも、一国人民として自国自家のために、決して軽んずべからざるの大義にして、即ち我輩がいかなる事情に逢うも、断乎として一毫をも仮さざる由縁《ゆえん》なり。
またあるいは説を作り、西洋文明の人と称する者にても、その男女の内行決して潔清《けっせい》なるにあらず、表面はともかくも、裏面に廻りて内部を視察すれば、醜に堪えざるもの多し、何ぞ必ずしも独り日本人を咎《とが》むるに足らんなどいう者なきにあらず。これは我が国の上流、殊に西洋家と称する一類の中に行わるる言なれども、全く無力の遁辞《とんじ》口実たるに過ぎず。そもそも人生の気力を平均すれば至って弱き者にして、ややもすれば艱難《かんなん》に敵して敗北すること少なからざるの常なり。然るに内行を潔清に維持して俯仰《ふぎょう》慚《は》ずる所なからんとするは、気力乏しき人にとりて随分一難事とも称すべきものなるが故に、西洋の男女独り木石《ぼくせき》にあらずまた独り強者にあらず、俗にいう穴探《あなさが》しの筆法を以てその社会の陰処《いんしょ》を摘発するにおいては、千百の醜行醜聞、枚挙に遑《いとま》あらず。我輩は親しくその国人の言に聞きたることもあり、またその著書・新聞紙上に見たることもありて、誠に珍しからずといえども、然りといえども日本男子はこの西洋社会の醜行醜聞を見聞して如何《いかん》の感をなすや。これを醜なりとするか、はた美なりとするか。我輩の聞かんと欲する所は、ただその醜美の判断|如何《いかん》の一点にあるのみ。
日本男子|鉄面皮《てつめんぴ》なるも、その眼《がん》に映じて醜なるものは醜にして、美なるものは美なるべし。既に醜美の判断を得たり、然らば則《すなわ》ち何ぞその醜を去って美に就《つ》かざるや。本来醜美は自身の内に存するものにして、毫末《ごうまつ》も他に関係あるべからず。いやしくも我が一身の内に美ならんか、身外《しんがい》満目《まんもく》の醜美は以て我が美を軽重《けいちょう》するに足らず。あるいはこれに反して我が身に一点の醜を包蔵せんか、満天下に無限の醜を放つものあるも、その醜は以て我が醜を浄《きよ》むるに足らず、また恕《じょ》するに足らず。されば文明なる西洋諸国の社会にもなお醜行の盛んなるを見聞したらば、幸いに取って以て自省の材料にこそ供すべけれ、いかに自儘《じまま》なる説を作るも、他の悪事を見て自家の悪事を恕するの口実に用いんとするが如きは、我輩の断じて許さざる所なり。近く比喩《たとえ》を以てこれを示さんに、不品行によりて徳を害するも、虎列剌《コレラ》毒に触れて身を害するも、その害は同様なるべし。然るに今|虎列剌《コレラ》の流行に際して我が保身の法を如何《いかん》するや。天下の人|皆《みな》病毒に感ず、流行病は天下の流行にして、西洋諸国また然りとのことなれば、もはや我が身も自ら顧みるに遑《いとま》あらず、共にその毒に伝染して広く世界の人と病苦死生を与《とも》にすべしとて、自暴自棄する者あるべきや。我輩未だその人を見ざるのみならず、その流行のいよいよ盛んなるに従って自ら戒むるの法もいよいよ綿密にして、謹慎に謹慎を加うるは、世界古今人情の常なり。人生の身体とその精神と、いずれをも軽しとしまた重しとすべからざるはいうまでもなきことにして、今|内行《ないこう》の不取締は、人倫の大本《たいほん》を破りて先ず精神を腐敗せしむるものなり。身体を犯すの病毒はこれを恐るること非常にして、精神を腐敗せしむるの不品行は、世間に同行者の多きがためにとて自らこれを犯して罪を免れんとす。無稽《むけい》もまた甚だしというべし。故にかの西洋家流が欧米の著書・新聞紙など読みてその陰所の醜を探り、ややもすればこれを公言して、以て冥々《めいめい》の間に自家の醜を瞞着《まんちゃく》せんとするが如き工風《くふう》を運《めぐ》らすも、到底《とうてい》我輩の筆鋒を遁《のが》るるに路《みち》なきものと知るべし。
日本男子の内行不取締は、その実《じつ》において既に厭《いと》うべきもの少なからざるなおその上に、古来習俗の久しき、醜を醜とせずして愧《は》ずるを知らざるのみならず、甚だしきに至りて、その狼藉《ろうぜき》無状《ぶじょう》の挙動を目して磊落《らいらく》と称し、赤面の中に自《おの》ずから得意の意味を含んで、世間の人もこれを許して問わず、上流社会にてはその人を風流才子と名づけて、人物に一段の趣《おもむき》を添えたるが如くに見え、下等の民間においても、色は男の働きなどいう通語を生じて、かつて憚《はばか》る所なきは、その由来、けだし一朝一夕のことにあらず。我が王朝文弱の時代にその風を成し、玉《たま》の盃《さかずき》底なきが如しなどの語は、今に至るまで人口に膾炙《かいしゃ》する所にして、爾後《じご》武家の世にあっては、戸外兵馬の事に忙《せ》わしくして内を修むるに遑《いとま》なく、下って徳川の治世に儒教大いに興りたれども、支那の流儀にして内行の正邪は深く咎《とが》めざるのみならず、文化文政の頃に至りては治世の極度、儒もまた浮文《ふぶん》に流れて洒落《しゃらく》放胆を事とし、殊に三都の如きはその最も甚だしきものにして、儒者文人の叢淵《そうえん》即ち不品行家の巣窟《そうくつ》とも名づくべき悪風を成し、遂に徳川を終わりて明治の新世界に変じたれども、いわゆる洒落放胆の気風は今なお存して止《や》まず、かの洋学者流の如き、その学ぶ所の事柄は全く儒林の外にして、仮令《たと》え西洋の宗教道徳門に入らざるも、その国人に接し、その言を聴き、その書を読み、その風俗を視察するときは、事の内実はともかくも、その表面のみにても、これを日本の事態に比して大いに異なる所あるを発明し、大いに悟りて自ら新たにし、儒流|洒落《しゃらく》の不品行を脱却して紳士の正《せい》に帰すべきはずなるに、言行|一切《いっさい》西洋流なるにもかかわらず、内行の一点に至りては純然たる旧日本人の本色を失わざるもの多し。けだし社会一般の習俗に制せられて、醜を醜とするの明《めい》を失うたるものにして、あるいはこれを評し有心故造《ゆうしんこぞう》の罪にあらず、無心に悪を犯すの愚というも可ならん。この点より見れば悪《にく》むべきにあらず、むしろ憐れむべきのみ。
前年外国よりある貴賓の来遊したるとき、東京の紳士と称する連中が頻《しき》りに周旋奔走して、礼遇至らざる所なきその饗応の一として、府下の芸妓《げいぎ》を集め、大いに歌舞を催して一覧に供し、来賓も興に入りて満足したりとの事なりしが、実をいえばその芸妓なる者は大抵不倫の女子にして、歌舞の芸を演ずるの傍《かたわ》ら、往々言うべからざる醜行に身を汚《けが》し、ほとんど娼妓《しょうぎ》に等しき輩なれば、固《もと》より貴人の前に面すべき身分にあらず。西洋諸国の上流社会にてこの種の女子を賤《いや》しむは勿論、我が日本国においても、仮に封建時代の諸侯を饗するに今日の如き芸妓の歌舞を以てせんとしたらば、必ず不都合を訴うることならん。されば、かの貴賓もその芸妓の何ものたるを知らざりしこそ幸いなれ、もしも内実の事情を聞くこともありしならんには、饗応の満足に引替えて、失敬無状を憤りしことなるべし。これとてもさきの紳士連中は無礼と知りて行うたるにあらず、その平生において、男女品行上のことをば至って手軽に心得、ただ芸妓の容姿を悦《よろこ》び、美なること花の如しなどとて、徳義上の死物たる醜行不倫の女子も、潔清上品なる良家の令嬢も大同小異の観をなして、さては右の如き大間違いに陥りたるものならんのみ。我輩は直ちにその人を咎《とが》めずして、我が習俗の不取締にして人心の穎敏《えいびん》ならざるを歎息する者なり。これを要するに、今の紳士も学者も不学者も、全体の言行の高尚なるにかかわらず、品行の一点においては、不釣合に下等なる者多くして、俗言これを評すれば、御座《ござ》に出されぬ下郎《げろう》と称して可なるが如し。花柳《かりゅう》の間に奔々《ほんぽん》して青楼《せいろう》の酒に酔い、別荘|妾宅《しょうたく》の会宴に出入《でいり》の芸妓を召すが如きは通常の人事にして、甚だしきは大切なる用談も、酒を飲み妓《ぎ》に戯るるの傍《かたわ》らにあらざれば、談者相互の歓心を結ぶに由《よし》なしという。醜極まりて奇と称すべし。
数百年来の習俗なれば、これを酷に咎《とが》むるは無益の談に似たれども、今の日本は、これ日本国中の日本にあらずして、世界万国に対する文明世界中の日本なれば、いやしくも日本の栄誉を重んずる士人においては、少しく心する所のものなかるべからず。試みに一例を挙げて士人に問わん。君らがいわゆる盛会に例の如く妓を聘《へい》し酒を飲み得々《とくとく》談笑するときは勿論、時としては親戚・朋友・男女団欒たる内宴の席においても、一座少しく興に入るとき、盃盤《はいばん》を狼藉《ろうぜき》ならしむる者は、君らにあらずして誰《た》ぞや。その狼藉はなお可なり、酒席の一興、かえって面白しとして恕《じょ》すべしといえども、座中ややもすれば三々五々の群《ぐん》を成して、その談、花街《かがい》柳巷《りゅうこう》の事に及ぶが如きは聞くに堪えず。そもそもその花柳の談を喋々喃々《ちょうちょうなんなん》するは、何を談じ何を笑い、何を問い何を答うるや。別品《べっぴん》といい色男といい、愉快といい失策というが如き、様々の怪語醜言を交え用いて、いかなる談話を成すや。酔狂喧嘩の殺風景なる、固《もと》より厭《いと》うべしといえども、花柳談の陰醜なるは酔狂の比にあらざるなり。もしも外国人の中に、日本語に通ずること最も巧みにして、談話の意味は勿論、その語気の微妙なる部分までも穎敏《えいびん》に解し得る者あるか、または日本人にして外国語を能《よ》くし、いかなる日本語にてもその真面目《しんめんもく》を外国語に写して毫《ごう》も誤らざる者ありて、君らの談話を一より十に至るまで遺《のこ》る所なく通弁しまた翻訳して、西洋文明国の中人以上、紳士貴女をしてこれを聴かしめ、またその訳文を読ましめたらば、かの士女は果たして如何《いかん》の評を下すべきや。一切の事情をば問わずして、ただ喫驚《きっきょう》の余りに、日本の紳士は下郎なりと放言し去ることならん。君らは斯《かか》る評論を被《こうむ》りて、果たして愧《は》ずる所なきか。
西洋諸国の上流紳士学者の集会に談笑自在なるも、果たして君らの如き醜語を放って憚《はばか》らざるものあるか、我輩の未だ知らざる所なり。けだし文明の社会にはかつて聞かざる所の醜語にてありながら、君らが常にこれを語りて憚る所なきは、日本の事は外人の知らざる所なりとして、強い
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