せんとするには私徳を脩《おさ》めざるべからざるの道理も、既に明白なりとして、さて今日の実際において、我が日本国の政治家はいかなる種族の人にして、その私徳の位《くらい》は如何《いかん》と尋ぬるに、外面より見て人品はいずれも皆《みな》中等以上の種族なれども、特別に有徳の君子のみにあらず。その智識聞見は、あるいは西洋流の文明に近き人あるも、徳教の一段に至り特に出色の美なきは、我輩の遺憾に堪えざる所なり。文明の士人|心匠《しんしょう》巧みにして、自家の便利のためには、時に文林儒流の磊落《らいらく》を学び、軽躁浮薄《けいそうふはく》、法外なる不品行を犯しながら、君子は細行《さいこう》を顧みずなど揚言して、以てその不品行を瞞着《まんちゃく》するの口実に用いんとする者なきにあらず。けだし支那流にいう磊落とはいかなる意味か、その吟味はしばらく擱《さしお》き、今日の処にては、磊落と不品行と、字を異にして義を同じうし、磊々落々《らいらいらくらく》は政治家の徳義なりとて、長老その例を示して少壮これに傚《なら》い、遂に政治社会一般の風を成し、不品行は人の体面を汚《けが》すに足らざるのみならず、最も磊落、最も不品行にして始めて能《よ》く他を圧倒するに足るものの如し。
 そもそも内行の不取締は法律上における破廉恥《はれんち》などとは趣を異《こと》にして、直ちに咎《とが》むべき性質のものにあらず。また人の口にし耳にするを好まざる所のものなれば、ややもすれば不知不識《しらずしらず》の際にその習俗を成しやすく、一世を過ぎ二世を経《ふ》るのその間には、習俗遂にあたかもその時代の人の性となり、また挽回すべからざるに至るべし。往古、我が王朝の次第に衰勢に傾きたるも、在朝の群臣、その内行を慎まずして私徳を軽んじ、内にこれを軽んじて外に公徳の大義を忘れ、その終局は一身の私権、戸外の公権をも併《あわ》せて失い尽したるものならんのみ。されば今日の政治家が政事に熱心するも、単に自身一時の富貴のためにあらず、天下後世のために、国民の私権を張り公権を伸ばすの道を開かんとするの趣意にこそあれば、後の世の政治社会に宜《よろ》しからざる先例を遺《のこ》すは、必ず不本意なることならん。もしもその本心に問うて慊《こころよ》からざることあらば、仮令《たと》え法律上に問うものなきも、何ぞ自ら省みて、これを今日に慎まざるや。金玉《きんぎょく》もただならざる貴重の身にして自らこれを汚《けが》し、一点の汚穢《おわい》は終身の弱点となり、もはや諸々《もろもろ》の私徳に注意するの穎敏《えいびん》を失い、あたかも精神の痲痺《まひ》を催してまた私権を衛《まも》るの気力もなく、漫然《まんぜん》世と推移《おしうつ》りて、道理上よりいえば人事の末とも名づくべき政事政談に熱するが如き、我輩は失敬ながら本《もと》を知らずして末《すえ》に走るの人と評せざるを得ざるなり。
 然《し》かのみならず国の徳義の一般に上進すると共に、品行論はいよいよ穎敏《えいびん》となり、天下後世の談にあらずして、いやしくも不品行者とあれば今日の社会に許されざるを常とす。試みに見るべし、有名なる英国の政治家チャールス・ヂルク氏は、誠に疑わしき艶罪《えんざい》(ある人の説く所に拠《よ》れば全く無根の冤《えん》なりともいう)を以て政治社会を擯《しりぞ》けられたり。我輩はもとより氏に私《わたくし》の縁あらざれば、その人の幸不幸についても深く喜憂するにはあらざれども、ただこの一事を見て、英国政治社会一般の徳風を窺《うかが》い知るのみ。即ち、かの政治社会は潔清《けっせい》無垢《むく》にして、一点の汚痕《おこん》を留《とど》めざるものというべし。斯《か》くありてこそ一国の政治社会とも名づくべけれ。その士気の凜然《りんぜん》として、私《し》に屈せず公《こう》に枉《ま》げず、私徳私権、公徳公権、内に脩《おさ》まりて外に発し、内国の秩序、斉然巍然《せいぜんぎぜん》として、その余光を四方に燿《かがや》かすも決して偶然にあらず。我輩は、我が政治社会の徳義をして先ず英国の如くならしめ、然る後に実際の政事政談に及ばんことを欲するものなり。
 外国と交際を開きて独立国の体面を張らんとするには、虚実両様の尽力なかるべからず。殖産工商の事を勉めて富国の資を大にし、学問教育の道を盛んにして人文の光を明らかにし、海陸軍の力を足して護国の備えを厚うするが如き、実際直接の要用なれども、内外人民の交際は甚だ繁忙多端にして、外国人が我が日本国の事情を詳《つまび》らかにせんとするは、容易なることにあらざるが故に、彼らをして我が真面目《しんめんもく》を知らしめんとするには、事の細大に論なく、仮令《たと》え無用に属する外見の虚飾にても、先ずその形を示して我を知るの道を開くこと甚だ緊要なりとす。即ち我が国衣食住の有様は云々《しかじか》にして習俗宗教は斯《かく》の如しなどと、これを示しこれを語りて、時としてはことさらにその外面を装《よそお》うて体裁を張るが如き、これなり。例えば今日の実際において、吾人の家に外国人の来《きた》るあれば、先ずこれを珍客として様々に待遇の備えを設け、とにかくに見苦しからぬようにと心配するは人情の常なり。また、これを大にして都鄙《とひ》の道路橋梁、公共の建築等に、時としては実用のほかに外見を飾るものなきにあらず。あるいは近来東京などにて交際のいよいよ盛んにして、遂に豪奢《ごうしゃ》分外の譏《そし》りを得るまでに至りしも、幾分か外国人に対して体裁云々の意味を含むことならん。一概にこれを評すれば無益の虚飾なるに似たれども、他人をして我が真実を知らしむるは甚だ易《やす》からざるが故に、先ず虚《きょ》より導きて実《じつ》に入らしむる方便なりといえば、強《あなが》ち咎《とが》むべきにもあらず。その虚実、要不要の論はしばらく擱《さしお》き、我が日本国人が外国交際を重んじてこれを等閑《とうかん》に附せず、我が力のあらん限りを尽して、以て自国の体面を張らんとするの精神は誠に明白にして、その愛国の衷情《ちゅうじょう》、実際の事跡に現われたるものというべし。
 然るに、我輩が年来の所見を以ていかように判断せんとするも説《せつ》を得ざるその次第は、我が国人が斯《か》くまでに力を尽して外交を重んじ、ただに事実に国の富強文明を謀《はか》るのみならず、外面の体裁虚飾に至るまでも、専《もっぱ》ら西洋流の文明開化に倣《なら》わんとして怠ることなく、これを欣慕《きんぼ》して二念なき精神にてありながら、独りその内行《ないこう》の問題に至りては、全く開明の主義を度外に放棄して、純然たる亜細亜《アジア》洲の旧慣に従い、居然《きょぜん》自得《じとく》して眼中また西洋なきが如くなるの一事なり。元来西洋の人は我が日本の事情に暗くして、ややもすれば不都合千万なる謬見《びゅうけん》を抱く者少なからず。就中《なかんずく》彼らは耶蘇《ヤソ》教の人なるが故に、己れの宗旨に同じからざる者を見れば、千百の吟味|詮索《せんさく》は差置《さしお》き、一概にこれを外教人《がいきょうじん》と称して、何となく嫌悪の情を含み、これがために双方の交情を妨ぐること多きは、誠に残念なる次第にして、我輩は常にその弁明に怠らず。日本国民|既《すで》に耶蘇《ヤソ》教に入りたる者あり、なお未だ入らざる者ありといえども、その入ると入らざるとはただ宗教上の儀式にして、日本帝国決して不徳の国にあらず、耶蘇教国|独《ひと》り徳国にあらず、いやしくも数千年の国を成して人事の秩序を明らかにし、以て東海に独立したるものにして、立国《りっこく》根本の道徳なくして叶《かな》うべきや、耶蘇の教義|果《は》たして美にして立国に要用なりとならば、我が日本国には耶蘇の名のほかに無名の耶蘇教民あることならんなどと、百方に言葉を尽して弁論すれば、また自《おの》ずからその意を解して釈然たる者なきにあらざれども、その談論時として男女関係の事に及び、日本の男子は多妻を許されてこれを咎《とが》むるものなく、ただに法律に問わざるのみならず習俗の禁ぜざる所なれば、社会の上流良家の主人と称する者にても、公然この醜行を犯して愧《は》ずるを知らず、即ち人生|居家《きょか》の大倫を紊《みだ》りたるものにして、随《したが》って生ずる所の悪事は枚挙に遑《いとま》あらず、その余波《よは》引いて婚姻の不取締となり、容易に結婚して容易に離婚するの原因となり、親子の不和となり、兄弟の喧嘩となり、これを要するに日本国には未だ真実の家族なきものというも可なり、家族あらざれば国もまたあるべからず、日本は未だ国を成さざるものなりなど、口を極めて攻撃せらるるときは、我輩も心の内には外国人の謬見《びゅうけん》妄漫《ぼうまん》を知らざるにあらず、我が徳風|斯《か》くまでに壊《やぶ》れたるにあらず、我が家族|悉皆《しっかい》然るにあらず、外人の眼の達せざる所に道徳あり家族あり、その美風は西洋の文明国人をしてかえって赤面せしむるもの少なからず、以て家を治め以て社会を維持するその事情は云々《うんぬん》、その証拠は云々と語らんとすれども、何分にも彼らが今日の実証を挙げて正面より攻撃するその論鋒《ろんぽう》に向かっては、残念ながら一着を譲らざるを得ず。遂に西洋人に仮《か》すに我を軽侮するの資《し》を以てして、彼らをして我に対して同等の観をなさしめざるに至りしは、千歳の遺憾、無窮《むきゅう》に忘るべからざる所のものなり。
 然《しか》り而《しこう》して日本国中その責《せめ》に任ずる者は誰《た》ぞや、内行《ないこう》を慎まざる軽薄男子あるのみ。この一点より考うれば、外国人の見る目|如何《いかん》などとて、その来訪のときに家内の体裁を取り繕い、あるいは外にして都鄙《とひ》の外観を飾り、または交際の法に華美を装うが如き、誠に無益の沙汰にして、軽侮を来《きた》す所以《ゆえん》の大本《おおもと》をば擱《さしお》き、徒《ただ》に末に走りて労するものというべきのみ。これを喩《たと》えば、大廈《たいか》高楼の盛宴に山海の珍味を列《つら》ね、酒池肉林《しゅちにくりん》の豪、糸竹《しちく》管絃の興、善尽し美尽して客を饗応するその中に、主人は独り袒裼《たんせき》裸体なるが如し。客たる者は礼の厚きを以てこの家に重きを置くべきや。饗礼《きょうれい》は鄭重《ていちょう》にして謝すべきに似たれども、何分にも主人の身こそ気の毒なる有様なれば、賓主《ひんしゅ》の礼儀において陽に発言せざるも、陰に冷笑して軽侮の念を生ずることならん。労して功なく費やして益なきものというべし。されば今我が日本国が文明の諸外国に対して、その交際の公私に論なく、ややもすれば意の如くならざるは、原因のある所、一にして足らずといえども、我が男子が徳義上に軽侮を蒙《こうむ》るの一事は、その原因中の大箇条《だいかじょう》なるが故に、いやしくもこれに心付きたる者は、片時《へんじ》も猶予せずしてその過ちを改めざるべからず。今の世界に居て人生誰か自国を愛せざる者あらんや。国のためとあれば荊《いばら》に坐し胆《たん》を嘗《な》むるも憚《はばか》らざるは人情の常なり。内行を慎むが如き、非常の辛苦にあらず。在昔《ざいせき》はこれを戒むるの趣意、単にその人の一身にありしことなれども、今は則《すなわ》ち一国の栄辱に関して、更に重大の事とはなりたり。身を思い国を思う者は、深く自ら省みる所なかるべからざるなり。
「日本男子論」の一編、その言《こと》既に長く、真正面より男子の品行を責めて一毫《いちごう》も仮《か》さず、水も洩《も》らさぬほどに論じ詰めたることなれば、世間無数|疵《きず》持つ身の男子はあたかも弱点を襲われて遁《のが》るるに路《みち》なく、ただその心中に謂《おもえ》らく、内行の不取締、醜といわるれば醜なれども、詐偽《さぎ》・破廉恥《はれんち》にはあらず、また我が一身の有様は自《おの》ずから人に語るべからざる都合もあることなるに、斯《か》くまでに酷言《こくげん》せずともなどといささか不平もありながら、さ
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