の弁明に怠らず。日本国民|既《すで》に耶蘇《ヤソ》教に入りたる者あり、なお未だ入らざる者ありといえども、その入ると入らざるとはただ宗教上の儀式にして、日本帝国決して不徳の国にあらず、耶蘇教国|独《ひと》り徳国にあらず、いやしくも数千年の国を成して人事の秩序を明らかにし、以て東海に独立したるものにして、立国《りっこく》根本の道徳なくして叶《かな》うべきや、耶蘇の教義|果《は》たして美にして立国に要用なりとならば、我が日本国には耶蘇の名のほかに無名の耶蘇教民あることならんなどと、百方に言葉を尽して弁論すれば、また自《おの》ずからその意を解して釈然たる者なきにあらざれども、その談論時として男女関係の事に及び、日本の男子は多妻を許されてこれを咎《とが》むるものなく、ただに法律に問わざるのみならず習俗の禁ぜざる所なれば、社会の上流良家の主人と称する者にても、公然この醜行を犯して愧《は》ずるを知らず、即ち人生|居家《きょか》の大倫を紊《みだ》りたるものにして、随《したが》って生ずる所の悪事は枚挙に遑《いとま》あらず、その余波《よは》引いて婚姻の不取締となり、容易に結婚して容易に離婚するの原因となり、親子の不和となり、兄弟の喧嘩となり、これを要するに日本国には未だ真実の家族なきものというも可なり、家族あらざれば国もまたあるべからず、日本は未だ国を成さざるものなりなど、口を極めて攻撃せらるるときは、我輩も心の内には外国人の謬見《びゅうけん》妄漫《ぼうまん》を知らざるにあらず、我が徳風|斯《か》くまでに壊《やぶ》れたるにあらず、我が家族|悉皆《しっかい》然るにあらず、外人の眼の達せざる所に道徳あり家族あり、その美風は西洋の文明国人をしてかえって赤面せしむるもの少なからず、以て家を治め以て社会を維持するその事情は云々《うんぬん》、その証拠は云々と語らんとすれども、何分にも彼らが今日の実証を挙げて正面より攻撃するその論鋒《ろんぽう》に向かっては、残念ながら一着を譲らざるを得ず。遂に西洋人に仮《か》すに我を軽侮するの資《し》を以てして、彼らをして我に対して同等の観をなさしめざるに至りしは、千歳の遺憾、無窮《むきゅう》に忘るべからざる所のものなり。
然《しか》り而《しこう》して日本国中その責《せめ》に任ずる者は誰《た》ぞや、内行《ないこう》を慎まざる軽薄男子あるのみ。この一点より考うれば、外国人の見る目|如何《いかん》などとて、その来訪のときに家内の体裁を取り繕い、あるいは外にして都鄙《とひ》の外観を飾り、または交際の法に華美を装うが如き、誠に無益の沙汰にして、軽侮を来《きた》す所以《ゆえん》の大本《おおもと》をば擱《さしお》き、徒《ただ》に末に走りて労するものというべきのみ。これを喩《たと》えば、大廈《たいか》高楼の盛宴に山海の珍味を列《つら》ね、酒池肉林《しゅちにくりん》の豪、糸竹《しちく》管絃の興、善尽し美尽して客を饗応するその中に、主人は独り袒裼《たんせき》裸体なるが如し。客たる者は礼の厚きを以てこの家に重きを置くべきや。饗礼《きょうれい》は鄭重《ていちょう》にして謝すべきに似たれども、何分にも主人の身こそ気の毒なる有様なれば、賓主《ひんしゅ》の礼儀において陽に発言せざるも、陰に冷笑して軽侮の念を生ずることならん。労して功なく費やして益なきものというべし。されば今我が日本国が文明の諸外国に対して、その交際の公私に論なく、ややもすれば意の如くならざるは、原因のある所、一にして足らずといえども、我が男子が徳義上に軽侮を蒙《こうむ》るの一事は、その原因中の大箇条《だいかじょう》なるが故に、いやしくもこれに心付きたる者は、片時《へんじ》も猶予せずしてその過ちを改めざるべからず。今の世界に居て人生誰か自国を愛せざる者あらんや。国のためとあれば荊《いばら》に坐し胆《たん》を嘗《な》むるも憚《はばか》らざるは人情の常なり。内行を慎むが如き、非常の辛苦にあらず。在昔《ざいせき》はこれを戒むるの趣意、単にその人の一身にありしことなれども、今は則《すなわ》ち一国の栄辱に関して、更に重大の事とはなりたり。身を思い国を思う者は、深く自ら省みる所なかるべからざるなり。
「日本男子論」の一編、その言《こと》既に長く、真正面より男子の品行を責めて一毫《いちごう》も仮《か》さず、水も洩《も》らさぬほどに論じ詰めたることなれば、世間無数|疵《きず》持つ身の男子はあたかも弱点を襲われて遁《のが》るるに路《みち》なく、ただその心中に謂《おもえ》らく、内行の不取締、醜といわるれば醜なれども、詐偽《さぎ》・破廉恥《はれんち》にはあらず、また我が一身の有様は自《おの》ずから人に語るべからざる都合もあることなるに、斯《か》くまでに酷言《こくげん》せずともなどといささか不平もありながら、さ
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