。仮令《たと》えあるいは種々様々の事情によりて外面の美を装うことなきにあらずといえども、一点の瑕瑾《かきん》、以て全璧《ぜんぺき》の光を害して家内の明《めい》を失い、禍根|一度《ひとた》び生じて、発しては親子の不和となり、変じては兄弟姉妹の争いとなり、なお天下後世を謀れば、一家の不徳は子々孫々と共に繁殖して、遂に社会公徳の根本を薄弱ならしむるに至るべし。故に云《いわ》く、多妻多男の法は今世《こんせい》を挙げて今人《こんじん》の玩弄物《がんろうぶつ》に供するの覚悟なれば可なりといえども、天下を万々歳の天下として今人をして後世に責任あらしめんとするときは、我輩は一時の要用便利を以て天下後世の大事に易《か》うること能わざる者なり。
 男女両性の関係は至大至重のものにして、夫婦同室の約束を結ぶときは、これを人の大倫と称し、社会百福の基《もとい》、また百不幸の源たるの理由は、前に陳《の》べたる所を以て既に明白なりとして、さて古今世界の実際において、両性のいずれかこの関係を等閑《なおざり》にして大倫を破るもの多きやと尋ぬれば、常に男性にありと答えざるを得ず。西洋文明の諸国においても皆|然《しか》らざるはなきその中についても、日本の如きは最も甚だしきものにして、古来の習俗、一男多妻を禁ぜざるの事実を見ても、大概を窺《うかが》い見るべし。西洋文明国の男女は果たして潔清《けっせい》なりやというに、決して然らず、極端について見れば不潔の甚だしきもの多しといえども、その不潔を不潔としてこれを悪《にく》み賤《いや》しむの情は日本人よりも甚だしくして、輿論《よろん》の厳重なることはとても日本国の比にあらず。故に、かの国々の男子が不品行を犯すは、初めよりその不品行なるを知り、あたかも輿論に敵して窃《ひそ》かにこれを犯すことなれば、その事はすべて人間の大秘密に属して、言う者もなく聞く者もなく、事実の有無にかかわらず外面の美風だけはこれを維持してなお未だ破壊に至らずといえども、不幸なるは我が日本国の旧習俗にして、事の起源は今日、得て詳《つまび》らかにするに由《よし》なしといえども、古来家の血統を重んずるの国風にして、嗣子《しし》なく家名の断絶する法律さえ行われたるほどの次第にて、頻《しき》りに子を生むの要用を感じ、その目的を達するには多妻法より便利なるものなきが故に、ここにおいてか妾《しょう》を畜《やしな》うの風を成したるものの如し。天理の議論などはともかくも、家名を重んずるの習俗に制せられて、止《や》むを得ず妾を畜うの場合に至りしは無理もなきことにして、またこれ一国の一主義として恕《じょ》すべきに似たれども、天下後世これより生ずる所の弊害は、実に筆紙《ひっし》にも尽し難きものあり。
 さなきだに人類の情慾は自《おの》ずから禁じ難きものなるに、ここに幸いにも子孫相続云々の一主義あることなれば、この義を拡《おしひろ》めていかなる事か行わるべからざらんや。妻を離別するも可なり、妾《しょう》を畜《やしな》うも可なり、一妾にして足らざれば二妾も可なり、二妾三妾随時随意にこれを取替え引替うるもまた可なり。人事の変遷、長き歳月を経《ふ》る間には、子孫相続の主義はただに口実として用いらるるのみならず、早く既にその主義をも忘却し、一男にして衆婦人に接するは、あたかも男子に授けられたる特典の姿となり、以て人倫不取締の今日に至りしは、国民一家の不幸に止《とど》まらず、その禍《わざわい》は引いて天下に及ぼし、一家の私徳|先《ま》ず紊《みだ》れて社会交際の公徳を害し、立国の大本《たいほん》、動揺せざらんと欲するも得《う》べからず。故に今日の日本男子にして内行《ないこう》の修まらざる者は、単に自家子孫の罪人のみにあらず、社会中の一人として、今の天下に対しまた後世に対して、その罪|免《まぬか》るべからざるものなり。
 主人の内行《ないこう》修まらざるがために、一家内に様々の風波を起こして家人の情を痛ましめ、以てその私徳の発達を妨げ、不孝の子を生じ、不悌《ふてい》不友《ふゆう》の兄弟姉妹を作るは、固《もと》より免るべからざるの結果にして、怪しむに足らざる所なれども、ここに最も憐《あわ》れむべきは、家に男尊女卑の悪習を醸《かも》して、子孫に圧制卑屈の根性を成さしむるの一事なり。男子の不品行は既に一般の習慣となりて、人の怪しむ者なしというといえども、人類天性の本心において、自ら犯すその不品行を人間の美事《びじ》として誇る者はあるべからず。否《いな》百人は百人、千人は千人、皆これを心の底に愧《は》じざるものなし。内心にこれを愧じて外面に傲慢なる色を装い、磊落《らいらく》なるが如く無頓着なるが如くにして、強いて自ら慰むるのみなれども、俗にいわゆる疵《きず》持つ身にして、常に悠々として安心するを得
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