は》くか、または講談師の席上に弁じたる一論が、偶然にも古聖賢の旨にかなうとするも、天下にその言論を信ずる者なかるべし。如何《いかん》となれば、その言の尊からざるに非ざれども、徳義上にその人を信ずるに足らざればなり。
然るに今、倫理教科書は文部省撰とあり。省中|何人《なんぴと》の手になりしや。その人は果して完全高徳の人物にして、私徳公徳に欠くるところなく、もって天下衆人の尊信を博するに足るべきや。諭吉においては、文部省中にかかる人物あるべきを信ぜざるのみならず、日本国中にその有無を疑う者なり。
あるいはこの撰は、一個人の意見に非ずして、一省の協議になりしものなりといわんか。とりもなおさず日本政府の撰びたる倫理論なり。然《しか》らばすなわち、今の日本政府を日本国民一種族の集合体として、この集合体ははたして徳義の叢淵《そうえん》にして、ことに百徳の根本たる家の私徳を重んじ、身の内行《ないこう》を厳にして、つねに衆庶《しゅうしょ》の景慕するところなるやというに、諭吉、またこれを信ずるを得ず。
あるいはいわく、倫理教科書は道徳の新主義をつくりたるに非ず、東西先哲の論旨を述べてその要を示した
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