家を作るべし。良家を作るの法は、兄弟姉妹をして友愛ならしめ、親子をして親ならしむるにあり。而《しこう》してその本源は、夫婦の倫理に発するものと知るべし。ゆえに少年の学生に徳を教うる教科書は、たんに私徳の要を説き、まず良家の良子女たらしめ、然る後に社会公徳の教に移るべきはずなるに、本書の立言、あるいはその要を欠くものの如し。
今かりに一歩を譲り、倫理教科書中、私徳のことに説き及ぼさざるに非ず、「一家の間は専ら親愛をもってなる云々、一夫一妻にしてその間に尊卑の幣を免かるるは云々」等の語さえあれば、私徳の要ももとより重んずるところなりと説を作《な》すも、本書をもって学校の教科書となすにおいては、なお不可なるものあり。
およそ徳教の書は、古聖賢の手になり、またその門に出でしものにして、主義のいかんにかかわらず、天下後世の人がその書を尊信するは、その聖賢の徳義を尊信するがゆえなり。支那の四書五経といい、印度の仏経といい、西洋のバイブルといい、孔孟、釈迦、耶蘇《ヤソ》、その人の徳高きがゆえに、書もまたともに光を生じて、人とともに信を得ることなり。かりに今日、坊間《ぼうかん》の一男子が奇言を吐《
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