るまでのものなれば、その何人《なんぴと》の手になり、また何《いずれ》の辺より出でたる云々の詮索は、無益の論なりとの説もあらんなれども、鄙見《ひけん》をもってすれば決して然らず。貝原益軒翁が、『養生訓』を著わし、『女大学』を撰して、大いに世の信を得たるは、八十の老翁が自身の実験をもって養生の法を説き、誠実温厚の大儒先生にして女徳の要を述べたるがゆえに然るのみ。もしもこの『養生訓』、『女大学』をして、益軒翁以下、尋常文人の手にならしめなば、折角の著書もさまでの声価を得ざりしことならん。
この他、『唐詩選』の李于鱗《りうりん》における、百人一首の定家《ていか》卿における、その詩歌《しいか》の名声を得て今にいたるまで人口に膾炙《かいしゃ》するは、とくに選者の学識いかんによるを見るべし。わずかに詩歌の撰にして、なおかつ然り。いわんや道徳の教書たる倫理教科書の如きにおいてをや。たとえ述べて作らずというも、その撰者・述者に帰するところの責任は、もっとも重きものなりと覚悟せざるべからず。
されば今、これを公にして官公の学校に用うるにあたり、書中|所記《しょき》の主義いかんに論なく、大いに天下の尊信
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