ば、この際にあたりて徳教の働ももとより消滅するに非ずといえども、おのずから輿論に適するがために、大いにその装《よそおい》を改めざるをえざるの時節なり。たとえば在昔《ざいせき》は、君臣の団結、国中三百所に相分れたる者が、今は一団の君臣となりたれば、忠義の風も少しく趣を変じて、古風の忠は今日に適せず。
在昔は三百藩外に国あるを知らずして、ただ藩と藩との間に藩権を争いしものも、今日は全国あたかも一大藩の姿となりて、在昔、藩権の精神は、面目を改めて国権論に変ぜざるをえず。在昔は、社会の秩序、すべて相《あい》依《よ》るの風にして、君臣、父子、夫婦、長幼、たがいに相依り相依られ、たがいに相《あい》敬愛し相敬愛せられ、両者相対して然る後に教を立てたることなれども、今日自主独立の教においては、まず我が一身を独立せしめ、我が一身を重んじて、自からその身を金玉《きんぎょく》視《し》し、もって他の関係を維持して人事の秩序を保つべし。
新に沐《もく》する者は必ず冠《かん》を弾《だん》し、新に浴する者は必ず衣を振うとは、身を重んずるの謂《いい》なり。我が身、金玉なるがゆえに、いやしくも瑕瑾《かきん》を生ずべ
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