領《おうりょう》したるうえは、また、聖人の道をもってこれを守るべし。敵のためにも可なり、味方のためにも可なり。その働くべき部分の内にありて自由に働をたくましゅうし、輿論にあえばすなわち装《よそおい》を変ずべし。これすなわち聖教の聖教たるゆえんにして、尋常一様、小儒輩《しょうじゅはい》の得て知るところに非ざるなり。(孟子に放伐論ありなどとて、その書を忌《い》むが如きも小儒の考にして、笑うに堪えたるものなり。数百年間、日本人が孟子を読みて、これがために不臣の念を起したるものあるを聞かず。書中の一字一句、もって人心を左右するにたるものなりとすれば、君臣の義理固き我が国において、十二君に歴事し公山仏※[#「月+(八/十)」、第4水準2−85−20]《こうさんひっきつ》の召《めし》にも応ぜんとしたる孔子の書を読むもまた不都合ならん。※[#「石+脛のつくり」、83−1]々然《こうこうぜん》たる儒論、取るに足らざるなり。)
我が日本の開国についで政府の革命以来、全国人民の気風は開進の一方に赴《おもむ》き、その進行の勢力はこれを留《とど》めて駐《とど》むべからず。すなわち公議輿論の一変したるものなれ
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