公議輿論は何によりて生じたるものなりやと尋ぬれば、三十年前、我が開国と、ついで政府の革命、これなりと答えざるをえず。開国革命、もって今の公議輿論を生じて、人心は開進の一方に向い、その進行の際に弊風もまた、ともに生じて、徳教の薄きを見ることなきに非ざるも、法律これを許し、習慣これを咎めず。
 はなはだしきは道徳教育論に喋々するその本人が、往々開進の風潮に乗じて、利を射《い》り、名を貪《むさぼ》り、犯すべからざるの不品行を犯し、忍ぶべからざるの刻薄《こくはく》を忍び、古代の縄墨《じょうぼく》をもって糺《ただ》すときは、父子君臣、夫婦長幼の大倫も、あるいは明《めい》を失して危きが如くなるも、なおかつ一世を瞞着《まんちゃく》して得々《とくとく》横行すべきほどの、この有力なる開進風潮の中にいながら、学校教育の一局部を変革して、もって現在の世態《せいたい》を左右せんと欲するが如きは、肥料の一品を加減して草木の生々《せいせい》を自在にせんとする者に異ならず。
 たとい、あるいはその教育も、他の人事とともに歩をともにして進退するときは、すこぶる有力なる方便なりというも、その効験の現わるるはきわめて遅々たるものにして、肥料の草木におけるが如くなるを得ず。ますますその迂闊《うかつ》なるを見るべきのみ。
 されば今の世の子弟が不遜軽躁なることもあらば、その不遜軽躁は天下の大教場たる公議輿論をもって教えたるものなれば、この教場の組織を変革するに非ざれば、その弊を矯《たむ》るによしなし。而《しこう》してその変革に着手せんとするも、今日の勢において、よく導きて古に復するを得べきや。今の法律を改めて旧套に返るべきや。平民の乗馬を禁ずべきや。次三男の自主独立をとどむべきや。
 これを要するに、開進の今日に到着して、かえりみて封建世禄の古制に復せんとするは、喬木より幽谷に移るものにして、何等の力を用うるも、とうてい行わるべからざることと断定せざるをえず。目今その手段を求めて得ざるものなり。論者といえども自から明らかに知るところならん。すでに大教場の変革に手段なきを知らば、局部の学校を変革するも無益なるや明らかなり。ゆえに我が輩は今の世態に満足する者に非ず、少年子弟の不遜軽躁なるを見て、これを賛誉する者に非ずといえども、その局部について直接に改良を求めず、天下の公議輿論にしたがいてこれを導き、自然にその行くところに行かしめ、その止まるところに止まらしめ、公議輿論とともに順に帰せしむること、流《ながれ》にしたがいて水を治むるが如くならんことを欲する者なり。
 今試みに社会の表面に立つ長者にして子弟を警《いまし》め、汝は不遜なり、なにゆえに長者につかえざるや、なにゆえに尊きを尊ばざるや、近時の新説を説きて漫《みだり》に政治を談ずるが如きは、軽躁のはなはだしきものなりと咎《とが》めたらば、少年はすなわちいわん。君は前年なにゆえに廃藩の事を賛成して旧主人の落路を傍観したるや。しかのみならずその旧主人とともに社会に立ち、あるいはその上に位《くらい》して世の尊敬を受くるも、恬《てん》としてはばかる色なきはなにゆえなるや。
 かつ君に質問することあり。君が維新の前後、しきりに国事に奔走して政談に熱したるは、その年齢およそ幾歳のころなりしや。この時にあたりて、世間あるいは君の軽躁を悦《よろこ》ばずして、君に忠告すること、今日、君が我々に忠告するが如き者はなかりしや。当時、君はその忠告を甘受したるか。我々ひそかに案ずるに、君は決してかかる忠告を聴く者に非ず。その忠告者をば内心に軽侮し、因循姑息《いんじゅんこそく》の頑物《がんぶつ》なりとてただ冷笑したるのみのことならん。
 されば我々年少なりといえども、二十年前の君の齢《よわい》にひとし。我々の挙動、軽躁なりというも、二十年前の君に比すれば、深く譴責《けんせき》を蒙るの理《り》なし。ただし、君は旧幕府の末世《まっせ》にあたりて乱に処《しょ》し、また維新の初において創業に際したることなれば、おのずから今日の我々に異なり。我々は今日、治世にありて乱を思わず、創業の後を承けて守成《しゅせい》を謀る者なり。時勢を殊《こと》にし事態を同じゅうせずといえども、熱心の熱度は前年の君に異ならず。けだしこの熱は我々の身において独発に非ず。その実は君の余熱に感じて伝染したるものというも可なり云々と、利口に述べ立てられたらば、長者の輩も容易にこれに答うること能わずして、あるいはひそかに困却するの意味なきに非ざるべし。
 その趣《おもむき》は、老成人が少年に向い、直接にその遊冶放蕩《ゆうやほうとう》を責め、かえって少年のために己《おの》が昔年の品行を摘発枚挙せられ、白頭汗を流して赤面するものに異ならず。直接の譴責は各自個々の間にてもなおかつ効を見ること少
前へ 次へ
全6ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
福沢 諭吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング