服すること能わざる者なり。そもそも論者の憂うるところを概言すれば、今の子弟は上《かみ》を敬せずして不遜なり、漫《みだり》に政治を談じて軽躁なりというにすぎず。論者の言、はなはだ是《ぜ》なり。我が輩とてももとより同憂なりといえども、少年輩がかくまでにも不遜軽躁に変じたるは、たんに学校教育の欠点のみによりて然るものか。もしも果して然るものとするときは、この欠点は何によりて生じたるものか、その原因を推究すること緊要なり。
 教育の欠点といえば、教師の不徳と教書の不経《ふけい》なることならん。然るに我が日本において、開闢《かいびゃく》以来稀なる不徳の教師を輩出して、稀なる不経の書を流行せしめたるは何ものなるぞや。あるいは前年、文部省より定めたる学制によりて然るものなりといわんか、然らばすなわち文部省をしてかかる学制を定めしめたるは何ものなるぞや。これを推究せざるべからず。我が輩の所見においては、これを文部省の学制に求めず、また教師の不徳、教書の不経をも咎《とが》めず。これらは皆、事の近因として、さらにこの近因を生じたる根本の大原因に溯《さかのぼ》るに非ざれば、事の得失を断ずるに足らざるを信ずるものなり。けだしその原因とは何ぞや。我が開国に次《つい》で政府の革命、すなわちこれなり。
 開国以来、我が日本人は西洋諸国の学を勉め、またこれを聞伝えて、ようやく自主独立の何ものたるを知りたれども、未だこれを実際に施すを得ず、またその実施を目撃したることもなかりしに、十五年前、維新の革命あり。この革命は諸藩士族の手に成りしものにして、その士族は数百年来周公孔子の徳教に育せられ、満腔《まんこう》ただ忠孝の二字あるのみにして、一身もってその藩主に奉じ、君のために死するのほか、心事なかりしものが、一旦開進の気運に乗じて事を挙げ、ついに旧政府を倒して新政府を立てたるその際に、最初はおのおのその藩主の名をもってしたりといえども、事成るの後にいたり、藩主は革命の名利《みょうり》にあずかるを得ずして、功名|利禄《りろく》は藩士族の流《りゅう》に帰し、ついで廃藩の大挙にあえば、藩主は得るところなきのみならず、かえって旧物を失うて、まったく落路《らくろ》の人たるが如し。
 従前は其藩にありて同藩士の末座に列し、いわゆる君公には容易に目通《めどお》りもかなわざりし小家来《しょうけらい》が、一朝《いっちょう
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