むお経の文句を聞くが如く、其意味を問わずして其声を耳にするのみ、果して其意味を解釈するも事に益することなきは実際に明《あきらか》なる所にして、例えば和文和歌を講じて頗る巧なりと称する女学史流が、却て身辺の大事を忘却して自身の病に医を択ぶの法を知らず、老人小児を看病して其方法を誤り、甚しきは手相家相九星八卦等、あられもせぬ事に苦労して禍福を祈るが如き、世間に其例少なからざるを見て知る可し。畢竟するに無学迷信の罪と言うの外なし。左れば古来世に行わるゝ和文字《やまともんじ》の事も単に之を美術の一部分として学ぶは妙なりと雖も、女子唯一の学問と認めて畢生《ひっせい》勉強するが如きは我輩の感服せざる所なり。
一 女子の徳育には相当の書籍もある可し、父母長者の物語もある可しと雖も、書籍読むよりも物語聞くよりも、更に手近くして有力なる教は父母の行状に在り。徳教は耳より入らずして目より入るとは我輩の常に唱うる所にして、之を等閑《なおざり》にす可らず。父母の品行方正にして其思想高尚なれば自《おのず》から家風の美を成し、子女の徳義は教えずとても自然に美なる可し。左れば父母たる者の身を慎しみ家を治むるは独り自
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