じて遠慮に及ばずと雖《いえど》も、等しく議論するにも其口調に緩急《かんきゅう》文野《ぶんや》の別あれば、其辺は格別に注意す可き所なり。口頭の談論は紙上の文章の如し。等しく文を記して同一様の趣意を述ぶるにも、其文に優美高尚なるものあり、粗野過激なるものあり、直筆激論、時として有力なることなきに非ざれども、文に巧なる人が婉曲《えんきょく》に筆を舞わして却て大に読者を感動せしめて、或る場合には俗に言う真綿で首を締めるの効を奏することあり。男子の文章既に斯《かく》の如し。況《ま》して女子の談論に於てをや。仮初《かりそめ》にも過激粗暴なる可らず。其顔色を和らげ其口調を緩かにし、要は唯条理を明にして丁寧反覆、思う所を述ぶるに在るのみ。即ち女子の品位を維持するの道にして、大丈夫も之に接して遜《ゆず》る所なきを得ず。世間に所謂女学生徒などが、自から浅学|寡聞《かぶん》を忘れて、差出がましく口を開いて人に笑わるゝが如きは、我輩の取らざる所なり。
一 既に優美を貴《たっと》ぶと言えば、遊芸は自《おのず》から女子社会の専有にして、音楽は勿論、茶の湯、挿花《いけばな》、歌、誹諧、書画等の稽古は、家計の許す限り
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