如何ともす可らず。父母に非ざる者を父母とし、娘に非ざる者を娘とすることは叶わずして、是に於てか相互の交際は、万事に就き心の底より出でずして、動《やや》もすれば表面の儀式に止まること多し。仮令い或は其一方が真実打解けて親まんとするも、先方の心に何か含む所あるか、又は含む所あらんと推察すれば、何分にも近づき難きが故に、俗に言う触らぬ神に祟《たたり》なしの趣意に従い、一通りの会釈挨拶を奇麗にして、思う所の真面目《しんめんぼく》をば胸の中に蔵《おさ》め置くより外にせん術《すべ》もなし。即ち双方の胸に一物《いちもつ》あることにして、其一物は固より悪事ならざるのみか、真実の深切、誠意誠心の塊にても、既に隠すとありては双方共に常に釈然たるを得ず、之を彼の骨肉の親子が無遠慮に思う所を述べて、双方の間に行違もあり誤解もありて、親に叱られ子に咎められながら、果ては唯一場の笑に附して根もなく葉もなく、依然たる親子の情を害することなきものに比すれば、迚《とて》も同年の論に非ず。左れば舅姑と嫁との間は、其人品の如何に拘らず其家風の如何に論なく、双方をして真に骨肉の親子の如くならしめんとするも、千一万一の異例の外
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