これより余は著述に従事し、もっぱら西洋の事情を日本人に示して、古学流の根底よりこれを顛覆《てんぷく》せんことを企てたる、その最中《さいちゅう》に、王政維新の事あり。兵馬|匆卒《そうそつ》の際、言論も自由なれば、思うがままに筆を揮《ふる》うてはばかるところなく、有形の物については物理原則のあざむくべからざるを説き、無形の事に関しては人権の重きを論じ、ことに独立の品行、自尊自重の旨を勧告して(ただし政権参与等の事については、余が著書中に切論したるもの少なし。これにはおのずから説あり。ここに略す。)その著書も少なからず、これがために当時の古学者流ははなはだ不平の様子なりしかども、その書の流行は非常にして、利益を得たることもまた、少なからず。
今日にいたるまで、余が衣食住に苦しまずして独立勝手次第の生活をなし、なおその上に私塾維持のためにも、社員とともに多少の金を費したるその出処《でどころ》を尋ぬれば、商売に儲けたるに非ず、月給に貰うたるに非ず、いわんや祖先の遺産においてをや。本来無一物の一書生が、一本の筆の先きにてかき集めたる財産なり。これまた偶然の僥倖《ぎょうこう》なりといわざるをえず
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