。いかんとなれば、当初、余が著述は、かつて身に経験あるに非ず、ただ西洋の事をたやすく世人に知らせんものをと思う一心よりこれを出版して、存外によく売れたるにつき、これは面白しとて、また出版すれば、また売れ、ついに図らざる利益を得たることにして、あるいはこれに反対して利益なかりしとても、さまで心事の齟齬《そご》したるものにあらざればなり。
 されば余が弱冠《じゃっかん》の時より今日にいたるまでの生活は、悉皆《しっかい》偶然に出でたる僥倖《ぎょうこう》にして、その然るゆえんは必ずしも余が暗愚、先見の明なきがために非ず。時勢の変遷、これを前知する能わざるは、誰れ人も一様なるその中に、余が志し、また企てたる事は、あたかもその変遷の勢に背くこと少なかりしがゆえに、今日なお未だ貧乏もせざることならん。然《しか》りといえども、他の僥倖は決して学ぶべき事柄にあらず。一身にしても僥倖はふたたびすべからず。いわんや他を学ぶにおいてをや。余はとくにこれを諸氏に警《いまし》めざるをえず。ただ諸氏に向って然《しか》るのみならず、現在、余が実子等へ警しむるところも、この旨より外ならず。
 余をもって今の第二世の後進
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