もしも維新の一挙、当初に失敗したらば、この輩はただ世の騒乱を好みて平安をいとう者とて、天下後世の評論を受け、あるいはその寃《えん》を訴うるによしなきを知るべからずといえども、偶然に今日の事実を見ればこそ、前年に乱を好みしは、その心事の本色《ほんしょく》に非ず、その乱はただ改めて治安をいたすの方便たりしとの事実も、はじめて明白なるを得たることなれ。これまた本論の一例として見るべし。人生決して乱を好むものに非ざるなり。
右の如く平安を好むの人情は、世界中に通用してたがうことなく、各国の交際も人々《にんにん》の渡世《とせい》も、その目的、平安にあらざるはなし。なお進みて戦闘殺伐、物を盗み人を殺す者も、この主義に洩《も》れざるものとするときは、人生の目的は、他を害して身を利するにすぎず。これをもって教育の本旨とするは当らざるに似たれども、人生発達の点に眼《まなこ》を着《ちゃく》すれば、この疑を解くに足るべし。そもそも人生の智識、未だ発せざるに当りては、心身の働《はたらき》、ただ形体の一方に偏するを常とす。いわゆる手もて口に接する小児の如き、これなり。野蛮未開、耕して食らい井を掘りて飲むが如
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