する者あれども、その快たるや、ただ絶命のみをもって快とするに非ず。その時の事情をいえば、本人の心に企《くわだ》つるところの事は大に過ぎて、これに応ずべき自己の力は小にして足らず、その大小の平均を得るに路なきがために、無上の宝たる一命をもて己《おの》が企つるところの事に殉じ、いささかその情を慰めて、もって快と称するものなり。けだしこの類《たぐい》の愉快は、形体に関係なくして精神に属す。形体にありては安楽と称し、精神にありては愉快という。その文字|異《こと》なりといえども、結局平安の主義に洩れざるものなり。
 また、今の我が日本にて新政府を建て、今日もっぱら社会の平安を欲して焦思苦慮《しょうしくりょ》する者は誰ぞや。十余年前にありては、しきりに世の多事を好み騒動を企望して余念なかりし血気の士人に非ずや。その士人の中には殺伐無状、人を殺し家を焼き、およそ社会の平安を害すべき事なれば一も避くるところなく、ついに身を容《い》るるの地なきにいたれば、快と称して死につきし者もあり。幸にして死にいたらざりし者が、今の地位にいて事をとるのみ。すなわち昔日《せきじつ》は乱を好み、今日は治を欲する者なり。

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