て、平安の主義にしたがうこと、わずかに形体の一方に止まりて、未だ精神の愉快なるものを知るにいたらず、あるいはその愉快とするところの境界はなはだ狭くして、身外の美をもっておのずから楽しむの情に乏しきもののみ。なお無智の小児が物の旨否《しひ》を知りて醜美を弁せざるが如し。
教育の旨は、形体と精神と両《ふたつ》ながらこれを導きて、その働の極度にいたらしむるにあり。ゆえに世に害他利身《がいたりしん》の輩《はい》あるは、教育の未だあまねからずして、人生の未だ発達せざるものなれども、平安の主義はおのずからその間に行われて故障を見ざるものと知るべし。
形体の安楽を知りて精神の愉快を知らざる者は、とくに盗賊以下に限らず、現今世界各国の交際においてもまた然り。かの西洋諸国の人民がいわゆる野蛮国なるものを侵して、次第にその土地を奪い、その財産を剥《は》ぎ、他の安楽を典《てん》して自から奉ずるの資《し》となすが如き、その処置、毫《ごう》も盗賊に異ならず。
在昔《ざいせき》、欧羅巴の白人が亜米利加に侵入してその土人を逐い、英人が印度地方大洋諸島に往来して暴行をたくましゅうしたるもその一例なり。今日西洋に
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