、おのずからこれに接して快きものあればなり。なお俗間の婦女子が俳優を悦び、男子が芸妓を愛するが如し。そのこれを愛するや、必ずしも(往々あれども)色慾に出ずるに非ず。ただこれを観て我が情を慰むるのみ。すなわち我が形体に関係なくして他の美を悦ぶものなり。すでに社会の美を欲す。然らばすなわち、その醜を悪《にく》むもまた人情ならざるをえず。その醜を変じて美となすべきの術あれば、その術を求めてこれを施すもまた人情なり。
 ここにおいてか貧困を救助し、文盲を教育する者あり。これを仁人君子と称す。仁人君子は、我が利害を棄てて人のためにし、我に損して他に益《えき》すというといえども、その実は決して然らず。その棄《すつ》るところのものは、形体に属する財物か、または財にひとしき時間、心労にして、その報《むくい》として得るものには、我が情を慰むるの愉快あり。すなわち形体の安楽を売りて精神の愉快を買うものなり。人生の発達、そのまったきを得て、形体の安楽にかねて精神の愉快を重んずるの日にいたり、はじめて人類至大の幸福を見るべきなり。
 けだし、かの盗賊以下、他を害して身を利する者の如きは、その生の働、発達せずし
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