こと能《あた》わざる者より以下は、到底《とうてい》この貸借《たいしゃく》の念を絶つこと能わず。現に今日にても士族の仲間《なかま》が私《わたくし》に集会すれば、その会の席順は旧《もと》の禄高または身分に従うというも、他に席順を定むべき目安《めやす》なければ止《や》むを得ざることなれども、残夢《ざんむ》の未《いま》だ醒覚《せいかく》せざる証拠なり。或は市中公会等の席にて旧套《きゅうとう》の門閥流《もんばつりゅう》を通用せしめざるは無論なれども、家に帰れば老人の口碑《こうひ》も聞き細君《さいくん》の愚痴《ぐち》も喧《かまびす》しきがために、残夢《ざんむ》まさに醒《さ》めんとしてまた間眠《かんみん》するの状なきにあらず。これ等《ら》の事情をもって考《かんがう》るに、今の成行きにて事変なければ格別なれども、万に一も世間に騒動《そうどう》を生じて、その余波近く旧藩地の隣傍に及ぶこともあらば、旧痾《きゅうあ》たちまち再発して上士と下士とその方向を異《こと》にするのみならず、針小《しんしょう》の外因よりして棒大《ぼうだい》の内患を引起すべきやも図るべからず。
 しかのみならず、たといかかる急変なくして
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