ち》を知らず。故に今この冊子を記《しる》して、幸《さいわい》に華族その他有志者の目に触《ふ》れ、為《ため》に或は学校設立の念を起すことあらば幸甚《こうじん》というべきのみ。
一、維新《いしん》の頃より今日に至るまで、諸藩の有様は現に今人《こんじん》の目撃《もくげき》するところにして、これを記《しる》すはほとんど無益《むえき》なるに似《に》たれども、光陰《こういん》矢のごとく、今より五十年を過ぎ、顧《かえりみ》て明治前後日本の藩情|如何《いかん》を詮索《せんさく》せんと欲するも、茫乎《ぼうこ》としてこれを求《もとむ》るに難《かた》きものあるべし。故にこの冊子《そうし》、たとい今日に陳腐《ちんぷ》なるも、五十年の後には却《かえっ》て珍奇にして、歴史家の一助たることもあるべし。
  明治十年五月三十日
[#地から2字上げ]福沢諭吉 記
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   旧藩情《きゅうはんじょう》

 旧|中津《なかつ》奥平《おくだいら》藩士《はんし》の数、上《かみ》大臣《たいしん》より下《しも》帯刀《たいとう》の者と唱《となう》るものに至るまで、凡《およそ》、千五百名。その身分役名を精細に分《わか》て
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