ること少なく他藩人に交《まじわ》ること稀《まれ》なるを以て、藩外の事情を知るの便なし。故に下等士族が教育を得てその気力を増し、心の底には常に上士を蔑視《べっし》して憚《はばか》るところなしといえども、その気力なるものはただ一藩内に養成したる気力にして、所謂《いわゆる》世間見ずの田舎者なれば、他藩の例に傚《ならっ》てこれを実地に活用すること能《あた》わず。かつその仲間の教育なり年齢なり、また門閥《もんばつ》なり、おおよそ一様同等にして抜群《ばつぐん》の巨魁《きょかい》なきがために、衆力を中心に集めて方向を一にするを得ず。ついに維新の前後より廃藩置県《はいはんちけん》の時に際し今日に至るまで、中津藩に限りて無事|静穏《せいおん》なりし由縁《ゆえん》なり。もしもこの際に流行の洋学者か、または有力なる勤王家が、藩政を攪擾《かくじょう》することあらば、とても今日の旧中津藩は見るべからざるなり。今その然《しか》らざるは、これを偶然の幸福、因循《いんじゅん》の賜《たまもの》というべし。
 中津藩はすでにこの偶然の僥倖《ぎょうこう》に由《より》て維新の際に諸藩普通の禍《わざわい》を免《まぬ》かれ、爾後
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