身分は、老中《ろうじゅう》、若年寄の次にして旗下の上席なれども、徳川の施政上に釐毫《りごう》の権力を持たず、あるいは国家の大事にあたりては、大政府より諮詢《しじゅん》のこともあれども、ただ顧問にとどまるのみ。けだしその然《しか》るゆえんは、武人の政府、文を軽んずるの幣などとて、嘆息する者もありしかども、我が輩の所見はまったくこれに反し、政府の文武にかかわらず、子弟の教育を司る学者をして政事に参与せしむるは国の大害にして、徳川の制度・慣行こそ当《とう》を得たるものと信ずるなり。
 当時もしも大学頭をして実際の行政官たらしめんか、林家《りんけ》の党類はなはだ多くして、いずれも論説には富む者なれば、政府の中にたちまち林家の一政党をなし、而《しこう》してその党類の力、よく全国を圧倒するには足らずして、かえって反対の敵を生じ、林家支配の官立学校にて政談の主義はかくの如し、これを実際に施したる政府の針路は云々と称すれば、都下の家塾はむろん、地方にも藩立・私立の学校も盛なれば、あるいは林家に従属し、あるいはこれに反対し、学問の談論よりただちに政治の主義に推《お》し及ぼして、ただに中央政府中の不和のみ
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