として動を勧むるなきを期すべからず。あるいは他の動者に反対して静を守るの極端は、己《おの》れ自から静の境界をこえて、反動の態《てい》に移るなきを期すべからず。ひっきょう、学問と政治と相密着するの余弊ならん。我が輩がその分離を祈るゆえんなり。
学問と政治と密着せしむるの不利は、ひとり我が輩の発明に非ず。古来、我が日本国において、その理由趣旨を明言したる者こそなけれども、実際においてその趣旨の行われたるは不思議なりというべし。往古の事はしばらくさしおき、徳川の時代において中央政府はむろん、三百藩にも儒臣なる者を置き、子弟の教育を司るの慣行にして、これを尊敬せざるには非ず、藩主なおかつ儒臣に対しては師と称するほどのことにして、栄誉少なからずといえども、そのこれを尊ぶや、ただ学問上に限るのみにして、政治に関してはかつて儒臣の喙《くちばし》をいれしめず、はなはだしきはこれを長袖《ちょうしゅう》の身分と称して、神官、僧侶、医師の輩と同一視して、政庁に入れざるのみならず、他士族と歯《よわい》するを許さざるの風なりき。
徳川の儒臣|林大学頭《はやしだいがくのかみ》は、世々《よよ》大学頭にして、その
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