あり。余輩は、その内外を問わず、その人の身分にかかわらず、一般にこれを日本国中一流の人民とみなしてこれを論ぜんと欲するなり。
政談の中に漸進論《ぜんしんろん》と急進論なるものあれども、あまり分明なる区別にも非ず。いずれにも進の義は免かれず。ただ、その進の方法を論じたるものならん。これをたとえば、飢たる時に物を喰《くら》うは同説なれども、一方は早く喰わんといい、一方は徐々に喰わんというが如し。双方ともに理あり。食物の品柄次第にて、にわかにこれを喰《くら》いて腹を痛むることあり、養生法においてもっとも戒むるところなれば用心せざるべからず。あるいは物の性質により、遠慮なく喰いて害をなさざることもあり、喰いて害なくば颯々《さっさ》と喰うもまた可なり。ゆえに漸進急進の別は方法の細目なれば、余輩は、この論者を同一視して、ひとしくこれを改進者流の人物と認めざるをえず。すなわち、今日、我が国にいて民権を主張する学者と名づくべき人なり。
民権論は余輩もはなはだもって同説なり。この国はもとより人民の掛り合いにして、しかも金主《きんしゅ》の身分たる者なれば、なんとして国の盛衰をよそに見るべけんや、たしか
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