び》は実のるべからず。政府は人民の蔓に生じたる実なり。英の人民にして英の政府あり、仏の人民にして仏の政府あり。然らばすなわち今の日本人民にして今の政府あるは、瓜の蔓に瓜の実のりたるのみ。怪しむに足らざるなり。
ここに明鏡あらん。美人を写せば美人を反射し、阿多福《おたふく》を写せば阿多福を反射せん。その醜美は鏡によりて生ずるに非ず、実物の持前《もちまえ》なり。人民もし反射の阿多福を見てその厭《いと》うべきを知らば、自から装うて美人たらんことを勉むべし。無智の人民を集めて盛大なる政府を立つるは、子供に着するに大人の衣服をもってするが如し。手足|寛《ゆるやか》にしてかえって不自由、自から裾《すそ》を踏みて倒るることあらん。あるいは身幅《みはば》の適したるものにても、田舎の百姓に手織木綿の綿入れを脱がしめ、これに代るに羽二重《はぶたえ》の小袖をもってすれば、たちまち風を引て噴嚔《くしゃめ》することあらん。
一国の政治は、いかにもその人民の智愚に適するのみならず、またその性質にも適せざるべからず。然るに論者は性急にして、鏡に対して反射の醜なるを咎《とが》め、瓜に向いて茄子たらざるを怒り、その
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