二家ははじめより元素を殊にする者なれば、理において決して抱合《ほうごう》すべきに非ざれども、当時の事情紛紜に際し、幕府に敵するの目的をもって、暫時《ざんじ》の間、異種の二元素、たがいに相投じたることあり。これを思えば、今の民権論者が不平を鳴らすその間に、識らず知らずしてその分界を踏出し、あるいは他より来りてその界《さかい》を犯し、不平の一点において、かの守旧家と一時の抱合をなすのおそれなしというべからず。理をもって論ずれば、万々心配なきが如くなれども、通常の人は、さまで深謀遠慮なきものなり。
 民権論者とて悉皆《しっかい》老成人に非ず。あるいは白面《はくめん》の書生もあらん、あるいは血気の少年もあらん。その成行《なりゆき》決して安心すべからず。万々一もこの二流抱合の萌《きざし》を現わすことあらば、文明の却歩《きゃくほ》は識者をまたずして知るべし。これすなわち禍の大なるものなり。国の文明を進めんとしてかえってこれを妨ぐるは、愛国者の不面目これよりはなはだしきはなかるべし。
 論者つねにいわずや、一国の政府は人民の反射なりと。この言、まことに是《ぜ》なり。瓜《うり》の蔓《つる》に茄子《なす
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