議論の極意《ごくい》を尋ぬれば、実物にかかわらずして反射の影を美ならしめ、瓜の蔓にも茄子を生ぜしむるの策ありと、公《おおやけ》にこれを口に唱えざれば暗《あん》に自からこれを心の底に許すものの如し。余輩の考にては、この妙策に感服するを得ざるなり。
 然りといえども、また一方より論ずれば、人民の智力発達するにしたがいてその権力を増すもまた当然の理なり。而《しこう》してその智力は権衡《けんこう》もって量《はか》るべきものに非ざれば、その増減を察すること、はなはだ難《かた》し。家厳《かげん》が力をつくして育し得たる令息は、篤実一偏、ただ命《めい》これしたがう、この子は未だ鳥目《ちょうもく》の勘定だも知らずなどと、陽《あらわ》に憂《うれえ》てその実《じつ》は得意話の最中に、若旦那のお払いとて貸座敷より書附《かきつけ》の到来したる例は、世間に珍しからず。
 人の智恵は、善悪にかかわらず、思《おもい》のほかに成長するものなり。油断大敵、用心せざるべからず。ゆえにかの瓜の蔓も、いつの間にかは変性して、やや茄子の木の形をなしたるに、瓜はいぜんとして瓜たることもあらん。あるいは阿多福《おたふく》が思をこら
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