き得るの力を強くするの道にほかならざるなり。
故に一口に教育と呼び做《な》せども、その領分はなかなか広きものにて、ただに読み書きを教うるのみを以て教育とは申し難し。読み書きの如きはただ教育の一部分なるのみ。実に教育の箇条は、前号にも述べたる如く極めて多端なりといえども、早くいえば、人々が天然自然に稟《う》け得たる能力を発達して、人間急務の仕事を仕遂《しと》げ得るの力を強くすることなり。その天稟《てんぴん》の能力なるものは、あたかも土の中に埋れる種の如く、早晩《いつか》萌芽を出《いだ》すの性質は天然自然に備えたるものなり。されども能《よ》くその萌芽を出して立派に生長すると否《しか》らざるとは、単に手入れの行届くと行届かざるとに依《よ》るなり。即ち培養《ていれ》の厚薄良否に依るというも可なり。いわゆる教育なるものは則《すなわ》ち能力の培養にして、人始めて生まれ落ちしより成人に及ぶまで、父母の言行によって養われ、あるいは学校の教授によって導かれ、あるいは世の有様に誘《いざな》われ、世俗の空気に暴《さら》されて、それ相応に萌芽を出し生長を遂《と》ぐるものなれば、その出来不出来は、その培養たる
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