『彼の女は僕の云う様な事を云っている。』
突如《だしぬけ》に斯う云った人があったのです。見返ると、あの可厭《いやな》々々学生が、何時か私達の傍近くに立って居たではありませんか。
若子さんの御兄さんは、じろりと彼の学生の顔を御覧でした。
若子さんは小さな声で、『兄さん、彼女の方は随分ですわねえ。』
『女だから可いさ。』と、御兄さんは気にも御止めなさらない様でした。
其時、私は不図あの可哀相な――私が何となくそう思った――乳呑子を懐いた女の人を見出したのです。それはつい、泣饒舌をして居た方から、二つ先の窓の処でした。そして、窓の中から見下して居た若い兵士の、黒い黒い顔の、それでも優しいそうな其眼に、一杯涙が見えて居ました。
『……鶴さん、些《ち》っとも未練残さねえで、えれえ働きをしてね、人に笑われねえで下せえよ。』
と、眼には涙がほろほろと溢れてお居ででしたが、『お前さんが戦死《うちじに》さッしゃッても、日本中の人の為だと思って私諦めるだからね、お前さんも其気で……ええかね。』と、赤さんを抱いてお居での方は袖に顔を押当てお了いでした。
涙を拭いたのは、其方の良人の兵士さんと私ば
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