たのです。見ますとね、先刻の何人《だれ》でも呪いそうな彼の可怖い眼の方が、隣の列車の窓につかまって泣いてらッしゃるのでした、多くの人目も羞じないで。鋭い声の、あれが泣|饒舌《じゃべり》と云うのかも知れませんね。
『兄さん、貴方は死んで呉れちゃいやですよ。決して死ぬんじゃありませんよ。貴方は普通《ただ》の兵士《へいたい》ですよ。戦争《いくさ》の時、死ぬ為に、平生《つね》から扶持を受けてる人達とは違ってよ。兄さん自分から好んで、』
 強い咳払いを一つ、態《わざ》と三つまで続けて、其女の方の言葉を紛らそうとしたのは、其兄上らしい三十近い兵士《へいたい》さんでした。それで、其兵士の顔には、他の人への羞しい様な色が溢れて、妹さんを見据えてお居での眼は、何様《どんな》に迷惑そうに見られたでしょう。
『もう可いから、彼方へ御行で……お前の云った事は、既《も》う充分解ってる。其処を退いたら可いだろう。邪魔だよ、何時までも一人で、其処を占領しているのは。御覧、皆さんが彼様に立って居らッしゃるじゃないか。』
 其女の方の後には、幾個《いくたり》かの人の垣を為た様に取巻いて、何人も呆れてお居での様でした。

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